創作小説

19歳砂糖漬け

板の目に舌を這わせながら、半分過ぎた夏を惜しく思う。窓の外で啼く蝉の声も半減したから、もう何匹か死んで地面に落ちて るんだと思う。 「結局今年も何もせずに終わっちゃった夏休み」に歯噛みしながら、片手でクーラーの温度を一度下げる。一時期流行ったクール ビズなど何処吹く風で、馬鹿みたいに安いクーラーがブラウン管の向こうで叩き売られる。あのスタジオも冷房がガンガン効い てるんだろうし、紹介しているアナウンサーはイケメンだけど、語呂合わせの番号にかけたって彼は売ってくれないだろうから やらない。舐め過ぎて温かくふやけた板を口に含む。軽く歯を当てて上下に揺らすと口の中でしなる。 甘いものばっかり食べてちゃ新学期に目も当てられない体になっちゃうわよ。そう言ったのはママだ。 隣のおばさんにもらったお土産のもみじ饅頭を片手に説得力のない一言だ。ママだってお腹ぶよぶよじゃん。そう言うと、決ま って、あんたが入ってたから伸びたの、と言う。嘘つけ。子供1人入れておくのにデカい袋を用意し過ぎだ。そう言っても、2人 いれなきゃいけなかったから、と言うに決まってるのでそれ以上言わない。 また手が饅頭に伸びていた。おばさんもおばさんで、このクソ暑い時期に饅頭なんて食べ切れる訳がない。ここ最近ママがいつ も饅頭片手に動き回ってるのはそのせいだ。 「エリは?」 板を口に加えたまま辺りを見回す。視界に入るリビングにはいない。 「二階で勉強。」 「またぁ?」 「邪魔しちゃ駄目よ。」 するなと言われてはい、とは言わない。 「分かってるって。」 言いながら、リビングを出て階段を上がった。 「おーはー。」 「古い。」 引き戸を開けて直ぐの勉強机から洒落を理解しない返事が帰ってくる。 「ちょっとお邪魔しまーす。」 言いながら中に入るとじろりと横目で睨みながら 「しないで。」 と言われる。もちろん聞こえなかったフリをして奥のソファにどかっと座る。小さなため息がわざと聞こえるように飛んで来た が、それに重ねるようにばふっと音を立てて寝転がった。 「何してんの。」 「勉強。」 見れば分かるでしょ、と一言。 「成人式の着物、ピンクにしたよ。」 「最悪。」 「何、嫌だったの。あんた。」 「絶対洋柄じゃん。」 「そうだけど?」 「私、似合わないもん。」 「あんたこけしみたいな顔だもんね。」 ハハ、と笑うとこちらから見える横顔がムッと口を引き結ぶ。 「嫌ならあんたも見に行けばよかったのに。」 「嫌だよ。何枚も着せられるの疲れる。」 「あー…。確かに。店のおばちゃん売ろう、売ろうって必至でさ。後半、鼻息荒かった。」 ハハ、と二回目の笑いに横顔は前を向いたまま苦笑する。 「何咥えてんの。」 ちらりと寄こされた視線が私の口元を捉える。 「板。」 「棒でしょ。アイスの。」 「ガーリガーリ君。ガーリガーリ君。ガーリガーリくーん。」 聞いてないよ、とうんざりされながら、私は家着代わりにしている中学ねジャージのポケットに手をいれる。会話の途切れた静 かな部屋にカサッと紙の擦れる音がして、見向きもしなかった顔がこちらを向く。それを見て、体を起こして取り出したメモを エリに差し出す。 「あんたに頼んでいい?」 言いながら、自分でもひどく強制的に響いた言葉だと思った。あんたにしか、頼めない。 「責任、持たないけど。」 「いいよ、充分。」 託せただけで。 その一言は、言わなくても分かってるだろうと思ったから、言わなかった。 「さーてと。姉、自室へ帰還致します!」 戯けて言うと、引き出しにメモを仕舞った手がそのまま、はよいけ、と追い払うように軽く振られる。 「そのノリ、パパにそっくりだから直した方がいいよ。」 「分かってるけどさ、今更直んないよ。これは諦める。」 なんだかんだ言って、ふざけている方が何でも楽観的でいい。私にあってる。口の中の板を思い出したようにまた舐め始める。 ちろちろと先を舐め、顎が疲れたら休憩して、またほんのり甘いそれに舌を絡める。 「あんまり勉強すると馬鹿になるぞ。」 返事はない。無視か。 「まあ、いっぱい勉強して立派な人間になって立派なお金持ちになんなさい。」 姉の言葉って感じじゃないね、と今度は返事が返ってきた。入ってきた時に半開きのままだった引き戸を見て、今度はぴっちり と閉めないと、と思う。いつまで机に向かってる気か知らないけど、臭いとか、漏れると悪いし。 「おねぇ。」 「何?」 「キンキラキンのに入れたげるから。」 言いながら、顔はやっぱり笑っていなかった。代わりに私が笑顔で答える。 「おう。」 引き戸が背でぱんと閉まる。口の中で加えたままの板がポキリと折れて飛び出したささくれが歯ぐきの裏にきつく刺さった。 「痛っ…。」 血は出ていない。鉄の味がしないから。それならいい。どこも傷ついていないなら。 エリの部屋のすぐ隣の引き戸に手をかける。朝から冷房も入れずに閉め切っていたせいでもわんとした熱気が肌を叩く。 「サウナだねぇ。」 夏が半分過ぎたと言ってもまだ暑い。クールビズだからと言って素っ裸になる訳にも行かないし。 確実に腐るだろうな。 中身はとっくに腐っていて、どろどろで、腐臭もすごくて、手に負えなくて、だから今更アルコールなんて遅いだろうし。て言 うか、まだお酒駄目なんだよね。ベッドに上がる。上手に渡してよ、なんて思いながら、頭の中ではエリがプロ顔負けの演技と 一緒に、これが私の引き出しに…なんて言ってる姿が想像出来てちょっと笑った。 エリの差し出した小さなメモ…小さいと言っても立派に診断書だけど。 いつ、こんな検査を。 相手は。 どうして。 パパは何て言うだろう。ママは、何も言わないかな。きっと泣くと思うけど。 ふやけた板をゴミ箱に捨てる。自分で捨てておいて惨めなそれがほんの少し惜しくなった。中毒だ。甘い物中毒。 いや、砂糖中毒か。甘ければ、甘いほどいい。 どこまでも胸焼けするほど甘いことばかりなら、我慢も制限もなくて、もう少し楽だったのに。 「さてと。」 部屋は暑いし、気晴らしにちょっと出かけよう。 まだ半分も終わってないのに疲れるなんて、持久走はそこそこだったはずなのにな。やっぱり大人になると鈍るか、少し。 ま、人生には気分転換も必要だし。 なんて偉そうなことを誰に言うでもなく語りながら、天井から真っ直ぐ垂れた輪っかに自分の首を引っかけた。



 


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