二次創作小説
あなたでよかった
「は、…はいっ、くど…工藤です。」
「ぶはっ。」
後ろから新一の吹き出す声。あたしは真っ赤な顔をばっと振り向かせ、いまだ込み上げる笑いを必死で抑えている彼を睨む。
電話の相手はただのセールス。問題はそこじゃない。あたしは手短に勧誘を断って、受話器を戻す。と、同時に抑えていた笑い
が彼の口からせきを切ったように溢れ出す。
「ははははは」
あたしはその場で振り返って目で黙って、と彼に告げるが、あたしの顔を見て、また彼の笑いが増す。
「わ、笑わないでよ。」
ほてった頬が熱い。必死でそれだけ言うと、彼は声にならない声でごめん、ごめん、と謝る。
ひとしきり笑ったあと、彼は涙目で微笑んでいう。
「いや、いいなって思ってさ。」
「何がよ。」
拗ねんなよ、と彼はソファに座り直して言う。
「これから毎日、蘭が工藤ですって名乗るのを聞けるんだな-と思って。」
にやっと笑う彼。ううん、つい先週からあたしの旦那様。工藤新一。
「笑うんだったら夫婦別姓にするわよ。」
じと目で睨むあたし。
「おい、おい。」
彼は少し慌てたようにソファから身を乗り出す。
長年の幼なじみから恋人になったのは、彼がやっかいな難事件って言うのを解決し、すべてを話してくれたあの日から。
そして、彼が二十歳になった先週。五月四日に、あたし達は結婚した。
つい昨日、新婚旅行から帰ってきたばかりなのだ。もちろん新居は通い慣れた工藤邸。部屋の数まで知ってるこの家が、まさか
我が家になるなんて。その現実を考えただけで幸せを感じる。けれど、知りすぎている筈のこの家も、いざ彼と住むとなると、
慣れるまでは厄介で 、工藤蘭宛てに宅配が届いたり、工藤新一、蘭様と書かれたお祝いの熨斗を見る度に、新一はポーカーフェ
ィスを崩し、声をあげて笑う。正確には、対応するあたしを見て笑うのだけれど。
嬉しくない訳はない。工藤蘭と呼ばれることがまだくすぐったいだけ。
けれど、こう何度も馬鹿にされては頭にも来る訳で、
そして、今度は電話という訳で。
「ったく、別姓なんて物騒なこと言うんじゃねぇよ。」
彼はいまだ電話の前に突っ立ったままのあたしの横をすり抜けて、キッチンへ。少し前にスイッチをいれておいた珈琲メーカー
から二杯注いでこちらにもってくる。
「物騒って何よ。別居してるみたいだって言いたいの?」
少し可愛くない悪態をつく。
「んなこと言ってねぇだろ。オメーの親は関係ねぇよ。」
あたしの言葉に彼は顔をしかめる。お父さんとお母さんは、未だに別居中。けれど、あたしが結婚して一人になるお父さんを気
遣うように、お母さんが毛利探偵事務所に出入りすることは目に見えて多くなった。あたしはそれがこの上なく嬉しい。
なのに、つい心にもないことを言ってしまった。
ばつの悪い顔をするあたしをちらりと見て、彼は一つため息をつく。
「ほら、珈琲。飲むだろ?」
ソファから手招きすり彼。あたしはゆっくりとその隣に腰を下ろした。
彼に手渡された珈琲は、すでにあたし好みに甘さが調節されている。あたしはそれを一口飲んで、頭を垂れた。
「…ごめんなさい。」
そう言うと、彼の手がすっとあたしの肩を抱く。
「わ-ってるよ。ったくむきになりやがって。…まぁ、俺も少しからかいすぎたからな。」
ごめん、と言って、彼があたしの頭の上に自分の頬を寄せる。
「けどさ、こういうのって、今しか味わえないだろ?」
「何が?」
「だからさ、何年も経っちまったら、蘭が工藤蘭だってことも当たり前になっちまうじゃね-か。」
「…どうして?」
あたしの言葉に、また一つ頭の上から彼のため息が降ってくる。
「…オメー、十年経っても真っ赤な顔して、く…工藤です、なんて言うつもりかよ。」
意地悪な彼の顔を見て、
「あ、そういうこと。」
と一言。
「俺は一生蘭を離すつもりはね-し、そうするともちろん何二十年以上蘭は工藤蘭なんだぜ?毛利蘭より長い時間、工藤蘭ってこ
とだ。」
前半部分はさらっと殺し文句ね、今の。
そんなことを考えながら、新一の言葉に納得する。
そっか。このドキドキも、消えることはなくたってこんなに新鮮に思えるのは今だけかもしれない。
「そうだね。」
あたしは両手の中にある珈琲を見ながらぽつりと呟いた。
「だからさ、」
ふと彼の顔を見上げる。いつものポーカーフェイスだ。
「俺には今の蘭が嬉しいよ。」
「え?」
「どんなにオメーと一緒にいても、今の蘭が見られるのはこの瞬間だけだから。」
そう言って、彼はあたしの頬に一つキスをする。
次の瞬間にあった彼の顔は、あたしの大好きな笑顔だった。
「うん。」
大きく頷いた瞬間、
「ま、オメーをからかう俺もこの瞬間だけだしさ。」
と笑う彼。
「それは嫌。」
「何でだよ。」
さっと彼の隣から立ちあがり、すっかり空になった二つのマグカップをキッチンへ運ぶ。
「ちぇ。」
彼の舌打ちに笑いを堪えながら、ぴたりと立ち止まり、背を向ける彼に、
「新一。」
「あんだよ。」
こちらを振り向いた彼に、今この瞬間、あたしの精一杯を。
「あたしも、今の新一が好きよ。」
あたしの言葉に、彼は優しく笑った。
Copyright (c) 2003 You Fuzuki All rights reserved.