二次創作小説
あなたをもっと
「新一、珈琲入れようか?」
「ん-…?」
「珈琲飲む?」
「珈琲?」
「そう。」
「ん-…。」
「…。」
「…。」
「聞いてる?」
「ん-…。」
全然聞いてないじゃない。
「新一。」
「あ-…?」
「明日、雨だって。」
「へ-…。」
「槍も降るって。」
「へ-…。」
…やっぱり。
彼はいつもそう。
ううん。推理小説の新刊が出た日はいつもそう。それが彼のお父さんの書いたシリーズ物なら尚更そう。
あたしは書斎の椅子に座ったまま、もう何時間もろくに話をしない彼を、同じくもう何時間も眺めている。二人でいるのに一人
の気分。彼と同じ空間に居られることは嬉しいけれど、今日みたいな日はいつも新しい小説に彼を捕られる。一人で彼が読み耽
っている小説にヤキモチを妬く形になる。そんな感情を、つい先日うっかり彼に話したら、
「なんだよ、本に妬いてんのか?」
と、自分のことは棚に上げてからかわれる始末。
帰って来たばかりの頃はこんな風じゃなかったのにな。
あたしはふとそう思った。彼が元の姿になって帰ってきたばかりの頃は、何よりもあたしとの時間を大切にしてくれた。
別に、彼の時間全てが欲しい訳じゃない。ただ、あたしが傍にいることが当たり前のように、幼なじみだった頃と同じように、
あたしの存在価値が薄れて行くのが悲しかった。
あたしは返事をしない彼に、ホットをいれて持っていく。欲しいかどうかに関わらず、そうしておけば
「サンキュ。」
の一言は必ず帰ってくる。
あたしはどういたしまして、と返事をし、
「ちょっと博士のとこ行ってくるね。」
と聞いているのかいないのか、とりあえず彼に一言告げて玄関に向かう。
扉が閉まる寸前に、彼から返事が帰って来た。
「ん-…。」
「こんにちは-。」
阿笠博士の家の扉を少し開き、中を覗いて声をかける。すると、博士の代わりにもの静かな声で
「どうぞ。」
と中に促される。あたしは声のした方へ進んで行き、リビングのソファに座って書類に目を通している彼女を見つけた。
「あら、蘭一人?珍しいわね。」
「ん-…新一も居るには居るんだけど。」
そう言うと、彼女はどうぞ、と手であたしを向かいのソファに誘導しながら、
「そう言えば、今日はナイトバロンの新刊が出る日だったわね。」
何もかも御見通しと言った感じで、彼女は小さく笑う。
「そうなの。」
あたしが落胆混じりに呟やくと、
「それで、あなたを妬かせた仕返しでもしてやろうってところかしら。」
おもしろそうね、と彼女は持っていた書類の束をテーブルの上に投げた。
「志保には何でもわかっちゃうね。」
あたしがそう言うと、彼女はわざと肩をすくめて見せた。
「蘭、いい方法ならあるわよ。とびっきり工藤君を痛めつける方法が。」
彼女は悪戯っぽく笑う。
「…痛いの…?」
そう真顔で聞いたあたしに、彼女は可笑しさを堪えるようにして言った。
「えぇ。彼の心を少しだけ針で刺す程度だけどね。」
そう笑った彼女を見ながら、あたしは苦笑して、
「それって、とっても痛そう…。」
と呟いた。
1時間経ち、再びあたしが工藤邸に戻っても、彼はまだ先程の小説を読んでいた。
いつもの二度読みって言うやつね、と独り言ちて、
「ただいま。」
と彼に言うと、
「あぁ。」
とだけ返ってくる。
あたしは1時間前と同じように彼の近くのソファに腰かける。左手には、哀に言われた通り、携帯を握りしめて。
しばらく彼の傍で沈黙を守っていると、その空気を割るかのように、あたしの携帯が声を上げる。さすがの彼も少し驚いたよう
にこちらに向かって顔をあげた。
携帯は尚も煩く鳴り響く。
けれど、あたしは敢えて通話ボタンを押さない。そんなあたしを見兼ねて、彼が一言、
「蘭、電話でないのか?」
と問う。あたしは
「出るよ…。」
と呟いて、鳴き続けるそれを持って、リビングを出る。いつもならその場で対応するところを、敢えて新一から隠れるように。
もちろん、いつもと違う態度をとるあたしに、探偵さんは不審な顔をする。
あたしはリビングを少し出た壁際の、彼に声が届くか否かのところで通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『蘭か?』
広く、静かな工藤邸には、想像以上にあたしと電話の主の声が響く。
『今、電話しても平気?』
電話の相手が問う。あたしは困ったように小さな声で言う。
「だめだよ。今、新一の家に居るから…。」
『なんだ。またあいつのとこかよ。』
不機嫌そうに響く、低い男の声。
「うん、だから…。」
『いいじゃん。抜けてこいよ。会おうぜ。』
「でも…。」
不自然に続く会話。あたしの背後で、誰かが近づく音がした。もちろん、この家にはあたしと新一の二人だけ。
『最近会ってないんだから、いいだろ?適当にごまかせば。』
「うん、わかった…。」
『うち来いよ。』
「うん。」
『蘭。』
「ん?」
『今日は、泊まってくだろ?』
あたしが相手のその発言に、それは言い過ぎなんじゃ…なんて思った瞬間、背後から伸びて来た腕に、あたしの携帯は取り上げ
られる。
「誰だてめぇ。」
振り返ると、すぐ後ろに新一。彼の顔を見て、あたしは咄嗟にやり過ぎたと思った。
『あ?お前、工藤新一か?』
電話の相手も自ずと声に低さが増す。
「あぁ。蘭に何の用だよ。」
そう言って、あたしをぐっと睨む彼。向けられたことのない彼の視線に、あたしは体が震えた。
『何って、好きな女を誘っただけだぜ?』
「あ?蘭はてめぇのじゃねぇ。」
『じゃあ誰のだよ。お前のか?あいつがいつ、そう認めた?』
相手の言葉に、彼が一瞬ひるむ。電話口からは容赦なく言葉が溢れる。
『名探偵は大変だな。好きな女の考えてることがわかんねぇ程忙しいなんてな。』
「な…っ。」
『蘭はてめぇのもんじゃねぇよ。』
その言葉に、彼の顔がぐっと歪む。見ていられなかった。あたしは自分のしたことをひどく後悔した。
「俺は……」
「もう止め……!」
あたしの言葉が、彼の言葉と重なった瞬間、ゆっくりと工藤邸のドアが開く。
「だったら、どうする?工藤君。」
立っていたのはもちろん志保。片手に携帯、片手に蝶ネクタイ型変声器を持って。
「宮野…。」
彼は驚いたように彼女を凝視し、すぐに事を理解して顔をしかた。
「てめぇ…。」
あたしは咄嗟に二人の間に飛び込む。
「違うの、新一!あたしが志保に頼んだの!!」
「蘭…?」
「あたしが、新一を試したの。」
ごめんなさい、と言って彼の顔を見上げると、そこにあった大好きな人の悲しそうな顔に、ただ後悔の涙が流れた。
「蘭が気にすることないわ。」
彼女の冷静な声が響く。あなたが言えないって言うなら、私が言うわ、と。
「…工藤君。あなた、蘭が最近ずっと悩んでたのを知ってる?」
志保が、あたしの気持ちを代弁するように話し始めた。
「あなた、蘭の気持ちを聞いてあげたことはあった?」
「気持ち?」
「…蘭は、ずっと考えてたわ。以前と同じように事件に走り回るあなたが、また居なくなったらどうしよう。怪我をしたら、病
気をしたら。あなたにとっては、蘭が傍に居るだけで居心地がいいに決まってる。この子以上に、あなたを想ってる人なんてい
ないもの。」
あたしはただ、俯いていた。彼の負担になりたくなくて、ずっと言えなかった言葉が吐き出されることが怖かった。
「でも、蘭にとってみたら、自分が居て当たり前だと思っているあなたが辛いのよ。あなたが江戸川君だった時ですら、あなた
は全てを理解した上で蘭の傍に居た。でも、蘭は違うのよ?どれだけ傍に居たと説明されたって、あの頃の蘭にとって、『工藤
新一』が傍に居なかったことは事実だもの。」
新一が、あたしを見下ろしているのがわかったけれど、あたしは顔を上げなかった。溢れてくる涙でぐしゃぐしゃになった顔を、
彼の前にさらせなかった。
志保が、ゆっくりと息を吐くのがわかった。
「あなた以上に、蘭にとって、あなたと居る今は大切なのよ。」
そう言って、彼女は一息おいてから、重い空気を払拭するように意地悪く笑って言った。
「まぁ、初めはせっかくの休日に蘭を放ったらかして、小説にヤキモチを妬かせた仕返しにあなたにも妬いてもらおうと思った
だけなんだけど、蘭が悩んでるのを知ってたから、この際、灸を据えようと思って。」
私の名演技はどうだった、と。
その言葉に彼は苦笑して、
「今考えれば、俺に有無を言わさずあんなこと言うのってオメーだけだよな。」
とため息混じりに呟いた。
「まぁ、これに懲りて心を入れ替えることね、工藤君。」
そう言って、彼女は玄関に向かって踵を返す。
「あ、それと。さっきから自分のやったことを後悔して、自業自得のあなたに同情してる蘭のことは任せたわよ。」
「あぁ、わ-ってる。」
じゃあね、蘭、と言って部屋を出ていく彼女の足音に、あたしはありがとうと声をかけた。
静まり返った室内。あたしはまた俯く。嫌われてしまっただろうか。
「…。」
「…。」
「蘭。」
突然かけられた声に、あたしの体が強張る。
「怒らねぇから顔あげろ。」
その言葉に、あたしはそっと顔をあげた。けれど、視線は合わせられなくて、彼の肩口辺りでぴたりと止まる。
「…ごめんなさ…
「ごめん、蘭。」
「…え?」
彼の腕が背中に回る。きゅっと押し付けられた彼の上着から、この世で1番安心する香りが鼻を掠める。また、涙が出た。
「気付いてやれなくて。」
ごめん、と彼はもう一度呟いて、あたしの髪をそっと撫でる。
「…ううん。あたしこそ…。新一が帰ってきたばかりの頃は、一緒にいれるだけでいいって思ってたのに。我が儘になった…。」
志保の言葉を聞いていて思った。新一だけじゃなかった。
あたし自身、彼が傍にいることが当たり前だと思っているから、だからもっと、と思ってしまう。
しばらくの沈黙の後、あたしの髪に触れたままの彼が、ぽつりと呟く。
「なぁ、蘭。」
「何?」
彼の肩に顔を埋めたまま聞くと、彼は不安気に言った。
「…さっきの奴って、ホントに宮野だよな?」
「うん?」
「他の奴のとこに行ったりしないよな?」
「うん。」
「絶対か?」
「うん。しない。」
「…そっか。」
そう言って、彼はきゅっと力を込めてあたしを抱く。彼の吐いた息は震えていた。
そんな彼に、
「…妬いた?」
あたしがそう聞くと、
「いや、妬いたっつ-か心臓止まった。」
真面目な声でそう言う彼。
「まぁ、痛いとこ突かれたのひ事実だしな。」
そう言って眉を下げる彼にごめん、と言おうとすると、
「もう、ごめんはいいよ。」
と笑う。
珍しく自分の行いに反省中の彼に、あたしは小さく笑った。
「笑うなよ。こっちは真面目なんだぜ?」
あたしはごめん、ごめんとやっぱり軽く謝って、下げたままの自分の腕を彼の背に回す。
すると彼が少し間を置いて尋ねる。
「なぁ。」
「ん?」
「蘭は俺のだって言ってもい-のか?」
あたしは彼から顔をあげ、下から彼と視線を合わす。真っ赤になってそう聞く彼に、悪戯心が湧く。
今日は志保のおかげであたしが優勢ね、なんて考えながら。
「あたしはあたしのよ。」
そう言うと、彼はオメーな、と不機嫌な顔をする。
「あたしは新一の。」
とんっと彼の肩に頭を乗せて呟くと、優しい顔をした彼からたくさんのキスが降ってきた。
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