二次創作小説

白い 白い その肌に触れるのは 俺だけでいい。 他に何も望まなければ、 ずっと、傍に居られたのに。 ?今すぐ米花総合病院に。? まるで掲示板のテロップのように告げられた、たったそれだけの言葉。 その無機質な白に触れた記憶はなかったのに、心を掠めた名に、胸がえぐれる。 ?蘭。? 切れる息の音。 廊下を駆ける靴の音。 胸が軋む音。 自宅の電話で蘭の母の声を聞き、家を飛び出し、どうやってここへ来たのかは思い出せない。 気がつくと、焦る胸の音だけが耳をつんざいて、他には何も聞こえなかった。 飛びこんだナースステーションで聞かされた病室だけを目指して、ただ走った。 ?蘭。? 確信など何もなかった。 たとえ蘭に何かあったのだとしても、対したことではないかもしれない。 ただ、俺を呼んだだけ。 そう解釈することは、赦されないのだろうか。 「蘭っ!!」 白い箱のような建物を走り抜け、角を曲がった先に見つけた目的の部屋に飛び込んだ。 ピ、ピ、ピ、ピ、と。 それは、生きた心地のしない音。 彼女が生きている証であるのに。 白い 白い その顔が、固く閉じられた瞼の色が、嫌が応でも告げていた。 もう、遅いんだ、と。 「車にね、……… そう口を開いて、それ以上を続けることの出来ない声に、俺はそこで初めて病室で寄り添う蘭の両親に気付いた。 初めてだな。この人の泣き顔を見るのは。 蘭よりいくらか大人びた普段の顔が、隣で唇を噛む夫に支えられ、まるでそこで蘭自身が泣いているかのようだった。 彼女だったなら。 そう思う。 泣いているのだったら、何度だってその涙を拭ってやれる。 けれど、その彼女は、ただ普段以上の白く綺麗な顔をして、真っ白なそこに横たわっているのだ。 「すみません。蘭と、二人に…。」 掠れる自分の声に気付いた時には、二人は部屋の外へと向かっていた。 ぱたりとドアが閉まり、悲鳴のようなその人の泣き声が耳をつんざいても、 俺は泣けなかった。 「蘭?」 俺は彼女の傍に腰かけ、温かい手を両手で包む。 ?生きている? それなのに、どうしてこんなに冷たい表情で眠るのか、俺にはそれが痛々しくてならなかった。 「蘭?」 もう一度呼び掛ける。 返事はない。 彼女に繋がれた機械の音が、ただその命のはかなさを克明にする。 ?どうして? そう思った。 昨日までは、あの頃までは、あの時も、あの瞬間も、いつも、どんな時も。 「笑えよ、蘭。」 ?笑って? 「頼む。」 ?笑ってくれ? 「好きだ。」 こんな時に、俺の口は言い続けてきた言葉しか言えない。 「見ろよ、俺を。」 頼むから、そんな顔をしないで。 そうじゃない。 蘭は、そうじゃないだろ? 自分に言い聞かせているのか、彼女に言っているのかはわからない。 それでも、 「起きて。」 きゅっと握る手に力を篭める。離さないように、どこかにいってしまわないように。 「ん…っ…………」 ら、ん…? 蘭っ!? 「蘭!!蘭っ!!」 俺は消えるような声を漏らした彼女を覗き込む。口に当てられた呼吸機が、彼女の拍動に合わせて白く曇る。 ?生きている? 「しんい…………ち」 彼女の目がうっすらと開き、ぼやけた視界で必死に目の前の俺を探している。 「蘭!ここだ、わかるか?」 しばらく辺りをさ迷った瞳が俺を捉える。 ぼんやりと見つめてから、ふにゃりと笑う。 「ごめん。」 そう呟いたのは、彼女だった。 消えるような声で、 何も、悪くない彼女は、 消えそうな命で、 俺に告げる。 「先………いく、ね………。」 「ば、バーロ!!ふざけたことぬかすんじゃねぇ!!」 気付けば張り上がる声。 彼女の自覚した現実を遮るように叫ぶと、 「し…いち、泣かな………で………」 「泣い…泣いてね…………。」 いつの間にか伝う涙に、俺は驚き、何故か自分で流した涙がこの現実を受け入れたようで、悔しかった。 「泣いてねぇ。大丈夫だ。だから、んな縁起でもねぇこと言うなよ。」 俺はぐっと涙を拭って笑った。 汚い笑顔に、蘭は眉を下げる。 「泣いちゃ…駄目よ、……………探偵さ……ん………。」 ?泣かないで? 「こんな……早く、ごめ………ね。」 彼女の唇が、ゆっくりと、途切れながら、それでも全てを、俺に告げようとする。 「もっと………居たか…た。」 ?あなたの傍に? 「ごめ……」 彼女の目尻から流れた涙が、力なく流れる髪に落ちていく。 全て、愛しい。 だから、 「大丈夫だ。傍に…俺がずっと傍に居てやるから。」 ?大丈夫。? 彼女は生きている。 だから、ずっと傍に居てやれる。 たとえ、生きている俺の傍に、 居てくれなくても。 「なぁ、蘭。」 俺が呼び掛けると、 彼女はその瞳だけをこちらに向ける。 『なぁに?新一。』 そういつものように 優しい目を、変わらず向ける。 「感謝しろよ。オメーが生きてる間、一度だって俺がこの世に居なかった時間なんてねぇんだからよ。」 そうわざとおどけて言うと、彼女はいつものように、生意気、とでも言うように目を細める。 「ったく、俺が居ねぇと駄目だな、オメーは。」 そうカラカラと笑って見せると、彼女は少し笑ってから、急に寂しそうに目を閉じた。 「し、いち。」 俺は彼女の口元に耳を傾け、その声を刻む。 「なんだ?蘭。」 彼女の瞳が、うっすらと開き、俺を心配して怒った後のようにちらちらと揺れた。 「あ…たし、居なくな…たら、寂し…?し、いち……?」 寂しい? 「………は…、な、何言って……。」 俺は彼女に傾けていた首を擡げ、そっぽを向く。聞きたくない、認めたくない。 「そんなの……………」 寂しいなんてもんじゃない。 生きていく理由だった。 どんなに危険な目にあったって、 「オメーが居なきゃ、頑張れねぇ…。」 これが、最初で最後。 俺の最初で最後の女だから、弱音の一つも吐いてやる。 だから、 「いくなよ…頼むから。」 そう言う俺に、彼女はただ、笑った。 目尻を伝う雫で枕を濡らし、色のない瞳が俯く俺を捉えていた。 「しん…いち。大丈夫…よ。」 「蘭?」 「見て…る、から。」 ?たとえ、隣に立てなくても。 「そ…な、弱気でど、するの。探偵、さ…。」 「ば…かね、しっかりし………」 ピ、ピ、ピ、………ピピピピ…ピピピピ 彼女の命が、悲鳴をあげる。 言葉の途中でぽっかりと開いた口が、 俺の待つ言葉の続きを言い淀む。 また、蘭が泣く。 「ら、ん……。」 俺が、泣く。 ぼんやりと宙を見つめていた漆黒の瞳がゆっくりと揺れ、まるで普段の彼女のように、ただ、はっきりと、俺の瞳を捉えた。 ふんわりと、愛しい笑顔は、俺が生涯追い続けた、それだった。 しんいち ピー……… 愛しかった、 彼女も、 髪も、 瞳も、 声も、 全てが、 今でも愛しいままなのに、 「い、……くなよ………蘭。」 逝くな 傍に居てやるから、 俺の傍にも居て。 「ら、ん。…蘭…!!」 握った手は温かいのに、 彼女の命は動かない。 それだけがはっきり解るから、 しんいち そう呟いたままの口元と、 俺の後ろをついて歩くあの笑顔も そのままで、 変わらなくて、 彼女の、 生涯最後の言葉を、 ?しんいち? 強く噛み締めた。 「ら、らん…っ。蘭っ!!!!」 ?しんいち? 「……………愛してる。」 どうか 彼女を、蘭を連れていかないで。 こんなに愛しい女を、 どうか、 奪わないでくれ。 なぁ、蘭。 いつも俺を待ってくれるだろ? なのに、最後の最後で、 先に逝くなよ。 『も-。新一、遅いよ?』 蘭。 『ったく、いつになったら帰ってくるのよ-!?待ってるんだからね。』 蘭。 『新一、早くっ!!』 蘭。 『おかえり、新一。』 しんいち 誰か、 もし、彼女がもう一度笑うなら、 他には何も望まないから。 どうか、 約束を、 彼女と、俺の未来を。  


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