二次創作小説
愛しい人
「…あれ、蘭?来てるのか?」
少々手こずった事件を終え、二日ぶりに家の扉を開ける。いつもなら、冷えた外気と同じように肌を撫でる部屋の空気が、今日
は心地良い。彼女だと言う確証は何もなかったが、自分がそうであればいいと思っていたせいか、真っ直ぐにリビングへと足を
運び、彼女の姿を捜す。
「蘭…?」
真っ暗な書斎を進むと、ほのかな光が頭上から降っているのに気付く。
「部屋か…。」
持ち帰った荷物をその場に残し、階段を上がって自室へ向かう。
開け放たれたままの扉。人が居るにしては静まり返った空気を壊さないように、そっと中に進む。
「蘭、居るのか?」
声を潜めて、きっと居るであろう彼女に呼びかける。返事はない。
ふと、すぐ傍のベッドに目が留まる。
彼女なりにお洒落をしたのだろう、真っ白なワンピースを纏い、規則的な寝息を立てながらベッドに横たわる彼女を見つける。
その姿に、心が痛んだ。
俺は彼女を起こさないように気をつけながら、そっと彼女の横たわるベッドの端に腰を降ろす。年月を重ねるごとに柔らかく伸
びる髪。まるで離れていくかのように綺麗になっていく彼女。
「ごめんな。」
俺は彼女の頬に残る涙の後を拭いながら呟いた。26日の夜だけが、ただ過ぎていく。
「しょうがないよ。事件だもの。」
嘘の下手な彼女が、電話越しに明るさを努める。俺は騒がしい現場の隅で、24日の正午を示す電光掲示板を恨めしく思った。
「悪いな、蘭。約束だったのによ。」
二人で買い物をして、一緒にごちそう作って祝おうよ、と嬉しそうに計画を話す彼女をもう二週間も前から見ているだけあって、
電話の向こうでため息を我慢しているであろう彼女を容易に想像できた。
「もう、ホント大馬鹿推理之介ね、名探偵さん?」
そうやって彼女がおどけるのは、悲しさを堪えている証拠。
「新一が帰って来ないなら、今年のクリスマスは他の人と過ごしちゃうから。」
ちょっときつい冗談に、俺がそれは困る、と呟くと、彼女は少し嬉しそうに笑う。
「明日は絶対一緒に居られるようにするからよ。今日は我慢してくんね-か?」
「はい、はい。頑張ってね。」
「あぁ。終わったら、電話すっから。」
「うん、じゃあね。」
「結局、終わっちまったな。クリスマス。」
かわいらしく着飾った彼女を見ればわかる。この二日間が彼女にとってどれだけ大切だったのかが。
このたった二日が大切だと思う分だけ、それが終わった後の虚無感も大きい。目が覚めた時の彼女の表情を思うと、事件など今
回くらいは放っておけばよかったと、勝手な後悔が頭を過ぎる。
「ん…しんい…。」
「蘭?」
静かに寝息を立てていた彼女が眉をしかめる。
「起きたのか?」
けれど、俺の問いに反して、彼女はまた規則的な寝息を続ける。
「…しんいち…。」
わずかにしか聞こえない彼女の寝言。けれどしっかりと呟かれる自分の名。
彼女の目尻から、また一筋流れる涙。
「蘭っ…!!」
俺は眠っている彼女に構わずきつく抱きすくめた。その振動で、彼女がうっすらと瞼を上げる。
「あれ…?新一…。」
帰ったの、と柔らかく微笑む彼女。おかえり、と呟く口元。眠ったまま流した涙の後が、彼女の頬に新しい跡を残す。
「ごめん、蘭。俺…
「メリークリスマス。」
「…でも、もう日付が変わって…
「メリークリスマス、新一。」
困った顔をする俺を、彼女は全て見通していた。ただ、笑ってそう繰り返す彼女に、俺は小さく息を吐いて、同じように
「メリークリスマス、蘭。」
そう言うしかできなかった。
彼女はいつも我慢する。
自分のことは二の次で、俺の我が儘を通してくれる。もう、何年も彼女にそれを強いてきたのは、他ならぬ俺自身。
「蘭。」
「ん?」
彼女はまだ覚醒しきっていない身体を起こし、ベッドの端に座る俺の隣に身を寄せた。
「無理、しなくていいぜ?」
「…どういう意味?」
俺は彼女の目をどうしても見れなくて、ただ向かいの窓の外に視線を投げた。彼女のか細い声だけが、宙に浮いた。
「…俺じゃなかったら、泣かなくて済むんだぜ?」
冷気がカタンと窓を揺らす。彼女を手放す気など毛頭ないくせに、痛々しい彼女を思って思わず言ってしまった言葉。
嘘のつけないような静かな夜に放った言葉は、もう取り消すことは出来ない。
「泣いてないよ。」
彼女は俯いてそう言う。
「涙の跡、残ってる。」
そう言って、彼女の頬を親指でそっと拭うと、彼女の細い腕が俺の背中に回る。
「…今は、待ってれば会える。」
彼女が呟いた。
「でも、待つのが嫌で諦めたら、本当に会えなくなるから…。」
だから、待てる、と顔を上げた彼女は、少し寂しそうに笑っていた。
俺は、今もあの頃も、結局ずっとこいつを待たせてるのか。
「それでいいのか…?」
確かめるように聞く俺に、彼女は笑って頷く。
「待ってるの、辛くねぇか。」
「辛いけど…。」
彼女は苦笑する。
「帰ってきてくれるでしょ?ちゃんと。」
少し心配そうに。でも、俺の言葉を確信しているかのように聞く。
俺は一つ間をおいて、呟いた。
「…ずっと待っててくれんのか?」
「うん。」
「この家で。」
「え?」
「結婚しよう。」
彼女はすぐに返事をしなかった。その代わり、彼女の目尻から流れる涙が、さっきよりも温かいような気がして、その後で呟か
れる言葉を待たずに、俺は彼女を抱き寄せていた。
傍に居てくれると言う彼女に甘んじるなら、この手で彼女の幸せを約束しよう。
待っていてくれるのなら、必ず帰ると誓って。
俺は腕の中の彼女をそっとベッドに寝かせる。
「ほら、もう寝たほうがいいぜ?明日は一日休みもらったから、オメーの行きたいとこ連れてってやるよ。」
そう言って彼女の額に一つキスを落とす。
「…寝れないよ。」
「ん?」
「幸せすぎて寝れない…。」
そう呟く彼女を見て、俺は思わず笑った。
「なんで笑うのよっ。」
「はは…悪ぃ。」
真っ赤になって拗ねた顔をする彼女の頭をくしゃりと撫でる。どんどん女になっていく癖に、こういうとこは昔から変わらない。
「じゃあ明日は午後から出掛けるか。」
そう言って、上着を脱ぎ、彼女の横に潜りこむ。
横向きの彼女の背中から腕を回し、後ろから抱きしめ、起きててもいいぜ、と呟く。
「幸せすぎて寝れねぇんだろ?」
そう言うと彼女は小さく頷く。
手放せる訳がない。こんなに愛しい。
「蘭、愛してる。」
そう彼女の背中に言葉を投げるが、思った通り、帰ってくるのは彼女の規則的な呼吸だけだった。
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