二次創作小説

君が足りない

「蘭。」 「ん-?」 「ら、ん。」 「何-…?」 「なぁ。」 「だから何ってば。」 「な-…。」 「もう。今忙しいんだから用事がないなら邪魔しないで。」 …用事ならある。暇だ。構ってくれ。 なんて、情けないことが言える筈もなく、俺は同じ部屋にもう2時間も一緒にいるというのに、まるで一人きりにされた子供の ような物足りなさを味わっていた。 久しぶりの休日。久しぶりに仕事の依頼もない穏やかな日曜日。一日中蘭と過ごせると朝から上機嫌だった自分は甘かった。 いや、確かに一日中彼女と一緒なのだが、彼女の目に俺が映っていなければ意味がない。 「それ、まだ終わんね-のか?」 「ん-…もうちょっと…。」 既に二人掛けのソファの隣にさえ座ることを許されない状況。 必然的に俺は彼女の向かいの一人掛けのシートに座ることになり、彼女の隣にはたくさんの毛玉と編み物の本が陣取っている。 まるでいつもと逆だな。 俺はそんなことを自嘲気味に考えていた。今度から、彼女が傍にいるときの推理小説は控えようか、なんて。 彼女が編んでいるのは二週間前から編み始めた小さな靴下。もちろん彼女のでも、俺のでもない。彼女のお腹にいる俺達の新し い命のために、だ。子供ができたとわかった時、病院で事実を確かめた彼女からそれを聞かされた俺は、少し恥ずかしそうに俯 く彼女を見ながら声を失って驚き、 すぐにらしくもなく声を上げて喜んだ。 嬉しいに決まっている。 愛しい彼女との子供だ。 しかし、俺の考えは、やはりつくづく甘かった。 さすがの俺にも、まだ生まれてもいない自分の子供に、彼女を奪われるとは思ってもみなかった。 不機嫌な俺の隣で、彼女は鼻唄など唄いながら器用に小さなそれを編み上げていく。もう二週間前からこの状況。 もちろん俺はほったらかしだ。冬に生まれる子だからと言っても、俺の寒い心には何の対策もしてもらえない。 休日だけではない。 以前まで仕事から帰ってくると、パタパタと台所からかけてくる彼女の足音が聞こえてきたものだった。 しかし、今はリビングに一人で赴いた俺に、ソファに座って編み物を続ける彼女から小さく笑いかけられるだけ。 それでも十分仕事の疲れは吹き飛ぶのだが、だめだ。蘭が足りない。 「なぁ、蘭。」 「なぁに。」 「今日ぐらい、それ休憩にしようぜ?」 俺は思いきって言ってみた。 「え-。駄目よ。もう時間がないもの。この子が生まれるまでに、まだいろいろ編んでみたいものもあるの。」 案の定、やんわりと拒否の言葉。 「一日くらい平気だろ?」 俺は諦めきれずにもう一押し。 「だ-め。」 即答。 「…。」 しかし、今日は絶対に引けない。もう日が真上を通りすぎ、傾きかけている。俺に残された理想の休日もあとがないのだ。 こうなったら、もう強行手段に出るしかない。 俺はそっと彼女の向かいの席を立ち、すっかり彼女の隣を占領している雑誌を無造作にテーブルの上に積み上げ、毛糸玉を床に 転がす。と、彼女が不機嫌そうに手を止めて俺を見る。 「ちょっと、新一!邪魔しないでってっ…!」 俺は空いた彼女の隣にすぐさま腰かけ、彼女の首元に顔を埋める。 驚いて固まる彼女の手から忌ま忌ましい編み物一式を奪いとってテーブルに移動させると、さすがに彼女が声を荒げた。 「新一っ!!」 「うるせぇよ。」 俺は弱々しく抵抗する彼女の腰を自分に引き寄せ、彼女のお腹に気を配りながらも、軋むほど強く抱きしめた。 「し、新一っ…痛いってば。」 久方ぶりだ。こんなに彼女に近づいたのは。 彼女の髪の香りさえ懐かしい気がして、俺は彼女を自分に引き寄せたまま目を閉じた。 「オメー、放っとき過ぎだ。」 「…何を?」 抵抗を諦め、されるがままになっている彼女が言う。 「…俺を。」 ぼそりと呟いてから、しまったと思った。が、次の瞬間には彼女の零した笑いが耳に入ってきて、頬が熱くなった。 「笑うなよ。」 俺は顔を見られたくなくて、彼女の髪に顔を埋めたまま言った。 「だって、新一なんか可愛い。」 そう、くすくすと笑う彼女。 「バーロ。可愛いとか言うな。」 そう言い返しながらも、背中に回される彼女の腕に気付いてしまえば、いつものポーカーフェィスの取り戻し方も、 すっかり忘却の彼方だ。 しばらくそうしていると、彼女が思い出したように声を漏らす。 「…あ、そうだ。」 「ん?」 「新一、ちょっと待ってて。」 そう言って俺の腕を擦り抜けた彼女は、寝室へと姿を消す。俺は空っぽになった腕をそのまま宙に浮かせ、呆気なく離れた彼女 のぬくもりに肩を落とす。 しかし、彼女はすぐにまたリビングへとかけてきて、先程と同じように俺の隣に腰を降ろした。 俺がまた彼女に腕を回そうとすると、それより先に彼女の腕が俺の首の後ろに回り、温かい感触を首元に感じた瞬間、それを マフラーだと理解した。 「これ…。」 俺が驚いて自分の首元に触れると、明らかに彼女が編んだであろう赤いそれが指先にとまる。 彼女は暖かい?と尋ねながら、その端を自分の首に巻き、俺の腕にくっつくようにして座り直した。 「これも編んだのか? 「そうよ。ロングマフラーにしたの。」 新一と一緒にいられるから、と彼女は俺の肩に頭を傾ける。 …気付いてたのか。 俺は少しばつが悪かった。 「そろそろ新一が寂しくなるんじゃないかって、園子が言ってたの。まさか、と思ったけど、正解だったみたい。」 そう言って、くすくすと笑う彼女。 「園子の入れ知恵か。」 俺は小さく舌打ちしつつも、俺のポーカーフェィスを台なしにしてくれた彼女の親友にひそかに感謝した。 「寂しかった?」 そう俺を見上げてくる彼女の顔は、互いの首に巻かれているマフラーのせいか、 いつもより近くにあって心なしか鼓動が早くなった。 「…まぁな。」 真っ赤になってそう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。 「ごめんね、構ってあげられなくて。」 申し訳なさそうに呟いた彼女は、今日はもう編み物止めるから、と付け足した。 「じゃあ、残りの時間は俺にくれんのか?」 そう尋ねると、優しく笑って頷いた彼女を自分の膝に載せ、小さな唇に口づけた。 日は徐々に傾き始め、部屋に差し込む日差しも柔らかくなった。 俺は彼女を抱き上げたまま寝室へと向かう。今日は、彼女を抱きしめたまま眠れそうだ。 まだ、夜の帳が残されている。


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