二次創作小説
君以外何もいらない
「はい、工藤です。」
「もしもし、新一…?」
「あぁ、蘭か?どうした。」
「あのね…。」
「ん?」
この言葉を言ってしまうべきかどうか随分迷った。けれど、これ以上辛さに堪えられないあたしと、何よりあたしを必要として
いない彼のため。そう思い、あたしは一つ間をおいて告げた。
「もう、別れてほしいの。」
吐く息が、震えた。
「は?何…言ってんだよ。」
受話器越しの声さえ愛しいと思うのに、別れを告げてしまえば、言い訳がましい後の言葉は、あたしの口を滑るようにすらすら
と飛び出した。
「電話で言うことじゃないのに、ごめんね。」
でも、直接顔を見て言えそうにないから。
「でも、新一、事件で忙しそうだったから。」
大好きよ。
「じゃあね。」
それだけ言って、彼の言葉も聞かずに電話を切った。だって、彼から了解の返事を聞いたら、きっと諦められなくなる。
すぐに手の中の携帯が彼からの着信を告げる。何度も、何度も。
いきなり切ったりして、怒ってるかな。
けれど、あたしは携帯の電源を切って部屋の机に置いた。これでもう、彼からの連絡はなくなった。
そう思ったら、自分で決めたことに、今更涙が溢れた。自分でも馬鹿だと思う。泣いて頼めば、優しい彼はずっと傍に居てくれ
るかもしれない。だけど、あたしにはそんな風に振る舞うことができなかった。
ここに居たら、いずれ彼が話をしにやってくる。そんなことが容易に想像できたから、あたしは上着も羽織らずに家を出た。
***
「蘭!あんた何やってんの。」
大学のキャンパス内を一人で歩いていると、後ろから園子に呼び止められた。
「あ、園子。どうしたの?」
「どうしたの?じゃないわよ!あんた、新一君と別れたの?」
「へ?ううん。」
あたしは思いもよらなかった言葉に素っ頓狂な声をあげる。
「大学中で噂になってるわよ。工藤新一が彼女と別れたって。」
隣を歩く園子の言葉に、あたしは目を丸くした。
「え!どうして?」
そんなあたしに、園子はばつが悪そうに言った。
「あんた、知らなかったの?最近、新一君が知らない女と歩いてるって目撃情報が多数あがってるのよ!
まぁ、蘭にべた惚れの新一君に限って浮気なんて有り得ないと思うけど…。」
一度本人に確かめなさいよ、とそれだけ言って、園子は自分の講義に向かった。あたしはただ園子の言葉を受けとるだけだった。
あたしの不安は心を過ぎったけれど、新一にはよくあることだった。つい先月も噂になった女の子のことを勇気を出して聞いて
みたら、怒った顔で
「なんだよ、信じてね-の?」
と言われ、信じるまで離れない、と言って機嫌を損ねた新一の腕に、その日は一日拘束された。
「きっと何かの間違いだよね。」
そう自分に言い聞かせ、その場は彼に問うことなく事を終えた。
今思えば、あの時にきちんと聞いておけばよかったんだ。そうしたら、もっと傷が浅くて済んだかもしれない。
新一を信じているんじゃなくて、新一が好きでいてくれると自負していただけなのかもしれない。
***
家を飛びだして、もうどうやってここまで来たのか思い出せない。それでも、あたしの足は、新一とよく来たトロピカルランド
へと向かっていた。
あの噴水の前に。
誰を待ってる訳でもなく、ただその前に立って、時間が経つのを待っていた。
もう、誰も待たなくていいのだ。
待って、待って、待って、大好きな彼は帰ってきて、もう本当に手の届かないところへ行ってしまった。
***
「あ、もしもし。新一?」
「お-、蘭か。」
「今日時間ある?よかったら新一の家に夕飯作りに行こうと思って。」
ある休日、あたしは買い物に出たついでに彼に連絡をとった。
あまり会えていなかったこともあるけれど、つい先日の園子の言葉も気になったから。
「あ-…悪ぃ、蘭。」
「あ、事件だった?」
「いや…えっと…まぁ…そうなんだ。手のかかる事件でさ。今日は一日現場になりそうなんだ。」
なんだ、会えないんだ…。
「そっか、わかった。頑張ってね。」
「あぁ、サンキュ。」
あたしはほんの少しの落胆を振り払った。
「しょうがないか。今日はお父さんに美味しいものでも作ってあげよっと。」
そう思い、近くのスーパーへと足を運んだ。
あのことは、また時間のある時に聞けばいい。
そう思って。
けれど、見てしまった。この道さえ通らなかったら、もう少しだけでも、幸せは持続したかも、なんて咄嗟に思った。
それは、小さなオープンカフェの、通り沿いの席。
あたしの目に飛びこんだのは事件に向かっている筈の新一で、同時に飛びこんできたのは知らない女の人の後ろ姿だった。
綺麗に着飾った、大人の人。
「し…んいち…。」
あたしは買い物袋を下げたまま、二人の様子を向かいの道からただ呆然と眺めていた。ふと、園子の言葉が耳を過ぎる。
あぁ、この人なんだ…。
同時にそう思った。
いつものポーカーフェイスを崩して笑う新一。
普段着ないような、向かいの人の大人っぽい服装に合わせたスーツ姿。
その脇から、彼は小さな箱を取り出して、その中の小さな指輪を向かいの人へ差し出す。その人はそれを見てふんわりと笑い、
左手を彼に差し出す。彼は照れたように微笑んで、その指輪を綺麗な指に通す。同じように彼女が取り出した指輪は、同じよう
に左手を差し出す彼の指に通された。
もう、充分。
その絵に描いたような幸せそうな光景に、あたしはゆっくりと踵を返して、ただ元来た道を戻る。悲しくないなんて言ったら嘘。
だけど、その瞬間は涙の一つも出なかった。ただ、あたしにだけだと勝手に思いこんでいた彼の優しい笑顔が瞼に焼き付いて、
その表情以外、他には何も思い出せなかった。
気付くと自宅の扉の前に立っていた。あたしは誰もいない家の中に入る。
お父さんは麻雀かな…。
そんなことを頭の隅で考えながら、買ってきた食材を冷蔵庫に片し、傾いた日差しの差し込む事務所のソファに腰を降ろした。
途端、流れてきた涙に自分で驚く。
「何…今更………。」
けれど、意に反してそれは止まってくれなくて、言葉で語られるよりも明確なそれを見せられた心が刺されたように痛くて。
ただ、彼が大好きで。
あたしは泣き付かれるまでそこで涙を流し続け、誰もいない事務所の受話器に手を伸ばした頃には、
もうすっかり日が落ちていた。
「もしもし、新一…?
「もう、別れてほしいの。」
***
しばらく噴水の前に立ちつくしていると、寒さのせいか、次第に足が震えだした。
やっぱり上着を着てくるべきだったかな。
携帯も、置いてこないで持ってきたらよかった。
お父さんにも、何も言ってこなかったな。
どうしてあの時、すぐに確かめなかったんだろう。
頭を過ぎるのは後悔ばかりで、つくづく自分が嫌いになる。
目の前を通っていくのは、寒い季節なだけあって、身を寄せ合って歩く恋人達がほとんどで、
一層、いつも隣にいる筈の彼を想った。
そう言えば、あたしの隣に新一がいなかったことなんて、ないんだよね。
小さい頃からいつも一緒で、彼の両親がアメリカへ渡る時ですら、彼はこっちに残っていつもあたしの傍にいてくれた。
姿形を偽ったって、守ってくれなかったことなど一度もなかった。
せめて、最後の別れくらい、彼の言葉をちゃんと聞いて、噛み締めておくべきだったのかもしれない。
もうすぐ9時。閉園になるのは10時だから、あと1時間しかここにもいられない。
少しずつ、あたしの居場所がなくなっていく。
あたしはすっと噴水の側まで歩みより、その中央に立つ。あの時は、新一が一緒だった。ううん、いつも新一が一緒だった。
だけど、もういない。
時計の針が9時を射したと同時に、あたしの周りに水の壁が立ちあがる。何十にも重なる水の壁が、何十にも重なった彼との思
い出を洗い流していく。
自然と、涙が零れた。
さっと水の勢いが弱まり、視界が開けていく。
もう帰ろう。いつまでも、彼にすがっては生きていけないのだから。
壁が崩れ、当たりに現実の世界が広がり始める。
もう、忘れて―――
「見つけた。」
「しんい……」
驚く間もなく、あたしは突然目の前に現れた彼に抱きすくめられる。伸びてきた指には、昼間の指輪。
「ったく、心配させんじゃねぇっ!!」
「な…離し…」
「離さねぇよ。」
「や…。」
「離さねぇって言ってんだ!!何で別れるなんて言った?理由聞くまで絶対離さねぇ。」
振りほどくことなんて到底出来ない強さで抱きしめられた。あたしはしばらく何も話さず、彼の腕の中にいた。
抱きしめられたことが、触れられたことが嬉しくて、何も言えなかった。
「おい、答えろよ。」
彼にそう言われ、僅かに口を開く。
「…いらないと思ったから…。」
その言葉に、彼は腕の力を緩め、傷ついた顔をした。
「俺がか?」
「ううん。新一に、あたしが。」
そう言うと、彼はもっと傷ついた顔をする。
どうして、そんな顔するの?あたしの方が、ずっと傷ついた。
彼はまた腕に力をこめる。
「な…に、言ってんだよ。必要ないわけないだろ!!」
「じゃあ、あの人は!?」
声を荒げたあたしに彼が驚く。
「あの人…?」
「…あたしに嘘までついて、会ってた人。あたしが邪魔なら、もう傍でうろちょろしないから、行っていいよ。」
言っちゃった。
確信したのに。
この腕の中で。
あたしには彼が必要だと。
「はっ…なんだ。見られてたのか。」
彼が渇いた笑いを零す。あたしはその笑い声に泣きたくなった。あぁ、やっぱり。そう思った。
「…そう。だから別れ…
「ふざけんな。」
彼が語気を荒げる。
「え?」
「…オメーの勘違いだって言ったら、信じるか?」
彼の言葉に、あたしは彼の下で顔をあげる。
「勘違い…?」
「あぁ。」
「でも、あたし…!!」
「これか?」
そう言って、彼が上着のポケットから取り出したのは、昼間見たあの指輪。
「それ…。」
「オメーのだ。」
「え…?」
彼はあたしを解放し、左手をとって、その指輪を薬指に通す。
あたしはその指をただ眺める。
「どういうこと…?」
あたしは状況の把握できない頭を回転させ、なんとかそれだけ言った。
新一はため息を一つ零してから、言い聞かせるように昼間の会話を離してくれた。
***
「工藤君、あの指輪どうだった?」
「えぇ、サイズもぴったりでした。」
「あら?どうやってわかったの?彼女には内緒だって言ってなかった?」
「寝てる彼女の指を拝借しました。」
「あら、妬けるわね。そうだ、ちょっと練習したら?」
「え?」
「ほら、指貸してあげるわよ。彼女に渡すだけじゃ駄目。ちゃんと指に通してあげなきゃ。」
「あ、でも…。」
「何照れてんのよ、ほら。」
「う-ん。まぁ、上出来ね。あ、ポーカーフェイスは保った方がいいわよ?」
「…はい。」
「それより、あなたのも間に合ったの。今日彼女に渡すんだったら、あなたもつけていったら?」
「あ、じゃあ…。」
「ほら、指貸して。指輪わね、自分でつけるものじゃないんだから。」
「よし!じゃあ、あたしはそろそろ…。検討を祈ってるわ。」
「あ、麻美先輩!」
「ちょっと…もう先輩って歳じゃないんだけど。」
「あ、すみません…。」
「工藤君、エンゲージリングの御予約もお待ちしております。」
「……ありがとうございます…。」
***
「あ…さみ…先輩…?」
「そうだよ。今アクセサリー事業に関わってるって聞いたから頼んだんだよ。オメー、欲しいって言ってただろ?ペアリング。」
そう言って、彼は恥ずかしそうに自分の指に嵌まったそれを顔の横に掲げる。
「あたし…。」
やっと状況を飲み込んだあたしの目からは、自然と涙が溢れていた。ただ、嬉しくて。
「この勘違い女。」
そう言って、彼はまたあたしを腕に収める。
「ったく、バーロ。電話も繋がんね-し、家は留守だし、心臓止まんだろ-が。」
不安にさせて悪かった、そう呟いて、彼はあたしの髪に何度もキスをする。
「ごめんなさい…。」
謝るあたしに、傍にいろ、とだけ言って。
「で、別れるって言うのは勿論取り消していいんだろうな?」
はっと顔をあげると、意地悪な彼の顔が目の前にあって、すぐにあたしの唇に降ってきた。
と、その時、閉園を告げる鐘が鳴り、さっきまで止まっていた噴水が飛沫をあげる。
「おわっ!!」
「きゃあっ!!」
あたし達は案の定水浸しになり、顔を見合わせて笑った。
「…それじゃ、服も濡れちまったし変えなきゃなんね-な。」
「そうだね。」
「今日は帰さねぇからな。」
「…え?」
「バーロ。心配かけさせたお詫びはしてもらうぜ?」
そう言って不敵に笑う彼にぐいっと腕を引かれる。絡みかけた手の中で、お揃いの指輪がかちっと音を立てて重なった。
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