創作小説
庭師と令嬢
その人は、葉の生い茂った木々を剪定し、芝を刈って、土をならすといつも必ず私の手を握って帰って行った。
初めに彼に手を差し出したのは私の方だった。
「ありがとう。とても綺麗になったわ。」
それはほんの挨拶代わりの握手だった。だって余りに丁寧な仕事を熟すから。
年端も自分と差程変わらないと言うのに、若くして繊細で、緑を生かす方法をよく知った人だと思った。
「そんな、手が汚れますから。」
初め、彼はそう言って、土で黒く染まった爪を気にしながらその手をそっと背後へ隠した。
「大丈夫。」
ただ一言そう言って、彼の手を強引にとったことも覚えている。ありがとう、といい直して。
それから私は庭の木々が生い茂る度に彼を呼び、
「手を、いいですか。」
と聞く彼に両手を差し出し、包み込んで来た、ほんの少しかさついた手を握り返した。
彼はただ木を刈って、手を握るだけだった。
年に四度、丁度季節の変わり目に、私は彼を呼んだ。
「そろそろ、いいかしら。」
毎回それだけ言うと、彼も必ず、
「分かりました。」
と言った。
ただ、それだけだった。
そんな風に季節を何度か繰り返し、ある日、何の変哲もない秋の終わりに私はまた彼を呼んだ。
「そろそろ、いいかしら。」
けれど、彼はうん、とは言わなかった。ただ、
「すみません。また春に。」
と言うだけで。
その時は、予想しなかった答えに驚きながら、
「そう。」
と返事をしたけれど、春になれば夏に、夏になれば秋に、と彼が訪れる季節は先送りにされ、
そんなやり取りが当たり前になって、庭の草木が縁側から見上げる空さえも覆ってしまった頃、約束もなく、彼はふらりと屋敷に
やって来た。
「やっと、来てくれたのね。」
迷わず取った手はひやりとしていて、何処か以前触れたものとは違うような気がした。
重ねた自分の手は流れた月日に従って皺の寄った小さなものになってしまったのに、
何故か彼の手は艶のある昔のそれのままだった。
「貴方よね?」
自問のような問いかけに、彼は遠慮がちに私の手を握り返した。
「病気だったんです。貴方に知らせるのが遅れてしまって…。」
けれど、貴方はここにいるじゃない。
「でも、治ったのよね?」
私の言葉に彼は小さく頭を振った。木々が、吹いた三月の風にざわめいて、私は静かに目を閉じる。
「父は亡くなりました。」
言うが早いか流れた涙は無遠慮に彼の甲に流れて地に落ちた。
「父の顧客名簿に貴方の名前が…。父が初めて手を入れたのがこちらだったようで、お名前が最後のページに…。
連絡が遅れてしまって…。」
後は、彼によく似た声が心地よく、緑に覆われた庭に響いていた。私は目を閉じたまま、その声に耳を傾ける。
「手を、いいかしら。」
放したその手をもう一度握り直して、長かった淡い記憶の末端が頭の中で静かに溶けて消えて行った。
あとはただ、この想いが恋だったと知るだけで。
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