創作小説
鬼と夜鷹
「例えその刃に切り刻まれても、貴方のものにはなれないわ。」
顔を覆った薄い羽織の向こうで、鮮やかに彼女は微笑んだ。
「何故か、と聞いてもいいか。」
邪道だとは思いながらも、そう問う俺の目から、彼女は視線を離さなかった。月明かりを跳ね返す刃先は彼女の白い喉に添えられ
たままだと言うのに。
「戻れないからよ。」
そう言う口元を飾る紅は、いつか自分が彼女に贈ったものだった。
徐ろに彼女は自分の着物の胸元に手をかけて、そこに散る赤を曝け出す。
白い肌に、椿の花弁を散らしたようなそれは、鮮やかに魅せることはあっても、己の意に違って消えることはない。
彼女はまた、刀を握る俺の腕に指を添え、すっと着物の袖を捲り上げる。
「貴方もそう。」
そこからは無数の傷が十文字に刻まれた朝黒い肌が覗き、自分の知らぬ間に増えた傷に、彼女は思わず苦笑した。
「戻れないのよ。」
二度目に呟かれた声には何の甘美も妖艶もなく、ただ彼女が彼女として、分たれた未来を自嘲した。
後になって過去を振り替えるくらいなら、彼女がその白肌を売ることも、己が人を斬る必要もなかったのだ。
「こうせざるを得なかったと言っても無駄か。」
「えぇ。」
彼女は迷わなかった。
「そうか。」
自分もまた、迷わなかった。
月夜に振りかざした表裏は見知らぬ下衆の血を吸って、闇の中で怪しく光り、勢いのまま白い絹の肌を切り裂く瞬間、
慟哭のような鋭い音で風を切り、知らず流れた涙で濡れた。
それは自分のそれなのか、それとも彼女のそれなのか。
今ではもう、それさえも分からない。
Copyright (c) 2003 You Fuzuki All rights reserved.