二次創作小説
知らない顔
久しぶりの晴天。久しぶりのゆっくりできる昼下がり。
「かーごーめーーー。」
「うるさい。」
右隣りの彼に一喝。視界の隅でむくれる彼。それでもちゃんと言われた通りに口を閉じる。
あたしは少しの優越感を感じながら、それに気付かない振りして、薬草学の書物に目を落とす。
彼の愚痴さえ聞こえなければ、暖かい陽気と涼しい木陰のおかげで絶好の…
「勉強日和ね。」
お天気がいいから、と続けると、彼は即答する。
「違ぇ-だろ。」
なんで“べんきょー”なんでぃ、とそっぽを向く。
…馬鹿ね。
「犬夜叉が居てくれると落ち着く。」
目線は書に落としたまま、素直にそう呟くと、隣でバサっと彼が大袈裟に動く衣擦れの音。
「な…何言ってやがんでぃ、いきなりっ。」
見なくたってわかる。きっと真っ赤なんでしょ?
その姿を想像して込み上げた可笑しさに、あたしがくつっと小さく笑うと、どうしてこういうところだけ敏感なのか、
自分のことを笑われたのだと察した彼がぼそっと呟く。
「ち、ちゃんとべんきょーしろ。」
さっきと言ってることが違うじゃない。
けれど、あえて何も言わずにおいた。そうすると、彼はまたあたしにかまってもらえないことにむっとするのだ。
そう、わかっててやってること。彼の子供っぽい心の動きを利用する。少し卑怯な手かもしれない。それでも、今はこうやって
側に居られることさえが幸せ。
「勉強しろ、なんて、なんか懐かしいね。」
あたしは犬夜叉と座っていた御神木の幹から立ち上がり、一つ伸びをしてまた同じ位置に座り直す。ほんの少し、犬夜叉寄りに。
「けっ。結局、お前はこっちに来てもべんきょ-だな。」
まだ機嫌の直らない彼。皮肉たっぷりの言葉にほんの少しむっとしつつも、
またこんな小言が聞けるのも嬉しいなんて思ってる自分がいる。
犬夜叉と再び出会って、今日で一年が過ぎた。正確な暦なんてないけれど、あたしはあの日からずっと数えている。
こっちの生活にも随分慣れた。元々、戦国時代と現代を行き来していたけれど、いざ住まいを持つとなると、初めの頃はその不便
さに辟易したものだった。けれど、やはりそれを払拭してくれたのは犬夜叉の存在。減らず口のくせに、いつもあたしの側を離れ
ずにいてくれる。犬夜叉のいなかった時間以上に、辛い時なんてきっとない。
「あんたもあの頃から成長してないわよ。すぐ怒るし、ヤキモチ妬くし。」
楓おばあちゃんに借りた書物に一通り目を通した後で、ちらりと犬夜叉を一瞥する。
「なっ…妬いてねぇっ!!」
「そう?じゃあ構ってもらえなくて拗ねてるのね。」
「拗ねてねぇっ!!」
さっきからずっとこの調子。
「あっそ。」
あたしはわざとらしく首を傾げながら、一ページ読み進める。楓おばあちゃんから習いたての戦国の文字。
まだまだ勉強不足だと実感する。もちろん犬夜叉に邪魔されている部分を除いても、だ。
「だぁーっ!もういいっ。俺は小屋に戻るっ。書物でも何でも好きにしろ。」
痺れを切らした犬夜叉がそう叫んで立ち上がる。
「あ、ちょっと。犬夜叉っ!」
あたしは慌てて顔をあげ、御神木から離れていく犬夜叉の背中に呼びかける。
「うるせぇ。俺は邪魔なんだろ-が。」
ずんずんと肩を怒らせて森を抜けようとする犬夜叉。さすがにからかいすぎたみたい。
「犬夜叉。」
離れていく彼の背中に、もう一度声をかける。犬夜叉がぴたりと背を向けたまま立ち止まる。
「…。」
「犬夜叉ってば。」
「…何だよ。」
今度は小さく声が返ってくる。低く小さい声。まだこちらを見ない。
「膝だったら貸してあげられるけど。」
動かない背中。ぴくりと動く犬耳。顔は見えないけれど、あたしにはわかってる。彼が今どんな顔をしているのか。
たっぷり十秒ほど経って、くるりと踵をかえした俯き加減の彼が、また同じようにあたしの隣に座る。
「べ、別に膝貸してほしくて戻ってきたわけじゃね-からな。」
弁解するように真っ赤な顔でこちらを睨む彼。じゃあ、何で戻ってきたの、なんて、
また意地悪なことを言いたくなる衝動を抑えて、
「ごめんね。」
と、そう一言優しく謝って、彼の頭を自分の膝へ引き寄せる。透けるような銀髪が目の前を流れていった。
あたしは彼が大人しくなったのを見て、脇に置いていた書物を左手に、右手を彼の頭にそっと宛がって、元の静けさを得た。
成長してないなんて、嘘。会えなかった時間が、確実にあたしの知らない犬夜叉を創った。あの頃より、もっと、ずっと、
男の人になった。
―――あたしの方が成長してないのかも。
自分で言い出しておいて、今更頬が熱くなる。意識が、自然と手の中の書物から膝へと移る。
別にこんな仕草は初めてじゃない。一緒に暮らすようになってからは、あの頃よりいくらか大人になった。お互いに。だから、
今更照れることなんてないのだけれど。それでも、薬草の名前なんて、もう一つも頭に入ってこない訳で。
ふと、さっきから黙り込んだままの犬夜叉に気付く。まだ怒っているのだろうか。
「ねぇ、犬夜叉…?」
返事はない。書物を脇に置いて、そっと犬夜叉の顔を覗きこむ。
「寝てるの?」
目を閉じている。少し小声で呼びかけた。
途端、犬夜叉の肩の辺りに添えていた両手が、伸びて来た犬夜叉の左手に掴まれる。
「…!!」
「引っ掛かったな。」
犬夜叉は目を閉じたまま、にやっと意地の悪い顔をする。
「ち、ちょっと!!離してっ。」
「やだね。離したらお前またべんきょ-するんだろ。」
そう言ってあたしをちらりと一瞥する目。勝ち誇ったような顔をしている。
「当たり前じゃないっ。」
だから離して、と到底敵わない力で抵抗するが、案の定何の効果もない。
あたしの腕は、犬夜叉の片手に抑えこまれたまま。
必死で離れようとするあたしに、ぽつりと投げられた言葉。
「お前、そんなにべんきょ-が大事なのかよ。」
「そ、そうよ。」
「俺よりか。」
「え?」
「俺よりべんきょーが大事なのかって聞いてんだよ。」
「なっ…そういう問題じゃ…」
「答えろ。」
いつになく真剣な顔。射るようにあたしを見る琥珀色の目。この目に捕まえられると、もうあたしに逃げ場はない。
…負けた。
「どっちが大事なんだよ。」
「…。」
「なぁ。」
「………犬夜叉。」
あたしの負けだ。犬夜叉の勝ち誇った顔に拍車がかかる。
ほら、この顔。
いつから、こんな顔するようになったの?照れてろくに好きだとも言えないような奴が、どうしてこんな顔するのよ。
知らない間に、男の人になった。
けれど、あたしだって…
「じゃぁ、べんきょ-は後だ。」
そう言って、彼はあたしの膝から離れ、今度はあたしが犬夜叉の腕に抱き上げられる。
「ちょっと!!」
「帰るぞ。」
言うが早いか、あたしは元来た道を素早く運ばれる。
いつの間にか、大人になった。
その分、好きだという気持ちも、愛しいという感情に変わった。
あなたに会ったから。
いつの間にか日が傾き始めていた。
もうすぐ、夜になる。
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