二次創作小説

手折りの華

 


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「ずっと、このままがいい。」 そう呟いた彼女の言葉が宙に浮かぶ。 俺は聞こえなかったふりをして、彼女の首元に顔を埋めた。額にかかる髪をあげてやると、髪の生え際に小さな傷があるのを見つ ける。忘れていたものだった。もう何年前のことかも思い出せない。 彼女の白い身体を辿っていけば、こんな風に悔いた傷も、愛おしんだ傷も、無数に見つけることが出来るのだろうか。 俺の問いには答えなどない。唯、夜が静かに更けるだけ。 ずっと、このまま。 そうだったなら、どんなに幸せなのか、想像ですら行き届かない。 ずっと、このまま。 そう望んだのは彼女だが、同じようにそう思うのは俺であり、愛しい女の願いを叶えてやれないのも俺だった。 *** 「かごめ-!!」 いつものように、人の忠告を無視して一人で散歩に出かけた彼女を捜していた。いつまで経ってもこうだ。 ついていくと言えば来るなと言うし、かと言って気にかけなければ、どうしてわかってくれないのだと言って拗ねるのだ。 そんな時、あの頃のような念珠が今の自分の首にかかっていないことに安堵する。 「お-い。」 なんとなく香る彼女の匂いを追って来たのだが、その姿は見当たらない。特に匂いの強く残る川辺りに降り立ち、辺りを見回す。 見覚えのある場所だ。 「ったく、あいつ。風呂入ってやがるな。」 俺は小さく悪態を付きながら、毎晩風呂に入りたいと言う彼女を連れてくる沸き温泉へと歩を進めた。 大方、薬草を取りに来た帰りに泥だけでも落としたいと考えたのだろう。温かな空気と硫黄の匂いに混じって、 彼女の匂いが強くなる。 「おい、かごめ。居るんだろ?」 彼女が裸であろうことも忘れて、茂みを抜けると、案の定彼女の背中があった。 ただ、今は彼女の裸体も背中もどうでもよかった。 「い、犬夜叉…。」 か細い声を発しながら振り返った彼女。自分のことのくせして、俺にすまなそうに謝る目が、ちらちらと揺れ動く。 それでも何より、彼女の額から流れている鮮血に、俺は言葉を失いかけた。 「かごめ…!!その傷どうしたっ!!」 下半身だけを湯につけたままの彼女に駆け寄ると、彼女は真っ赤な顔をして、 「い、犬夜叉。あたし裸… 「そんなことはどうでもいい。この傷はどうしたって聞いてんだ!!」 荒げた俺の声に、彼女が頭を垂れて呟く。 「薬草取るのに夢中で、茂みから飛び出してきた魑魅魍魎に気付かなかったの…。少し、切られちゃって…。」 そう言ってから、彼女は慌てて、でも血の割に痛くないだの、転んだ拍子に身体が汚れたからここへ来てみただの、 早口でまくし立て、その後小さな声で、 「…ごめん…。」 と呟く。恐らく、俺の忠告を聞かなかったことに対して。 「馬鹿やろう!だから一人で出歩くなって言ったんだ。」 そう言いながら、彼女の額の傷を自分の衣の袖で押さえる。思ったより傷は深くなかったが、跡が残らないかが気掛かりだった。 「ごめんね、犬夜叉。」 そう言って表をあげる彼女にため息をつきつつも、傍にいなかったことで守ってやれなかった自分を悔いた。 「…痛くねぇか?」 そう聞くと、大丈夫、と眉の下がった笑みが返ってくる。 「とりあえず、楓ばばあにいい薬でももらった方がいい。」 そう言って、彼女の額に破った衣の切れ端を宛がい、彼女を持ち上げようと視線を下げた。 「…!!!!」 と、そこですっかり忘れていたことに気付くのだ。 静止したままの俺の顔を見て、彼女は怪訝な顔をした後、すぐに俺を通り越した視線の向こうに脱ぎ捨ててある自分の衣服を見、 そして俺と同じことに気付き、声をあげた。 「馬鹿---っ!!!!」 「よし。これでよいじゃろう。2、3日で治る。…まぁ、多少の跡は残るかもしれんがな。」 楓の小屋で、とりあえずかごめの手当てを頼んだ。 しかし、外に居るにも関わらず、やはり小屋の中の声は丸聞こえで、 俺が1番気にかかっていた事実を楓の言葉があっさりと伝えてしまう。 「そっか…。髪に隠れる場所でよかった。ありがとう、楓ばあちゃん。」 かごめの声がする。小屋の外でかごめの治療が終わるのを待っていた俺に、中から声がかかった。 「犬夜叉、そこに居るんじゃろう。」 そう言われ、俺は渋々中に顔を覗かせる。 「…。」 「なんじゃ、その顔は。かごめならもう大丈夫じゃぞ。」 そう言われ、ちらりとかごめを見ると、頭に巻いた包帯が痛々しく、またすまなさうなその顔が俺の胸を締め付けた。 「…跡、残るんだろう。」 そう呟くと、楓はゆっくりと立ち上がり、治療具を片付けながら言う。 「多少はな。じゃが、目立つようなことはない。」 俺は声を荒げる。 「馬鹿やろう!かごめは女だぜ?楓ばばあくらい歳とってんなら未だしも… 「犬夜叉!!」 黙っていたかごめが俺を睨み、少しばつが悪かった。その様子に楓はため息をついてから、少し笑って、 「相変わらず失礼な奴じゃの。まぁ、仕方あるまい。未婚なら気の毒じゃが、お前の嫁なんじゃろう。 なら、そう先を心配することもなかろう。」 と。 「…!!」 俺はかっと熱くなる頬を感じる。 「か、楓ばあちゃん…!!」 横目で見ると、かごめも同じように真っ赤だ。 「おぉ。すまぬ、すまぬ。ちょっと口が過ぎたわい。」 楓の楽しそうな声に、俺は睨みを効かせた。 「ばばあ…。」 「ほれ、犬夜叉。もう連れて返ってよいぞ。かごめも、傷が塞がるまでは安静にの。」 俺を交わすようにそう言うので、また けっ、と悪態をつくと、かごめは一睨みし、すぐににこやかな笑みを浮かべる。 「うん、ありがとう。」 「んじゃ、かごめ。帰っぞ。」 俺はかごめを背にのせ、自分達の小屋まで戻った。 小屋につくと、かごめは囲炉裏の傍に小さくなって座り、目に見えて落ち込んでいた。 「かごめ…悪かったよ、守ってやれなくて…。」 そう言って、彼女の傍に同じように座ると、彼女は小さく首をふった。 「違うの。傷のことはいいのよ。」 「じゃあ、何だよ。」 首を傾げる俺を横目で伺うと、かごめの頭がふわりと俺の肩に落ちてきた。 「かご…… 「やっぱり。」 彼女が俺の言葉を遮る。 「やっぱり、あたしって一人じゃ何も出来ないんだなって思って。」 そう言って、俺の衣の端をきゅっと握る。 「こっちで暮らし始めてから、犬夜叉なしでまともに事をこなせたことがない…。」 かごめは囲炉裏の中でゆれる火を見つめながら呟いた。俺はその言葉にむっとする。 「俺は必要ねぇってことかよ。」 そう言うと、彼女は笑った。 「馬鹿。そうじゃなくて、何でも頼りっぱなしは嫌なの。」 かごめらしいな、と彼女につられて、俺は小さく笑う。 「珊瑚ちゃん見てて思うんだ-…。」 「珊瑚?」 彼女は小さくうなづいて、話を続ける。 「お母さんになって、前よりずっと頼もしくなった。あたしも、あんな人になりたいなって。」 そう言う彼女はしっかりとした瞳を俺に向ける。 どこが弱い?こんなにも意思を持った目をしている。 「……お前はお前でいいんじゃねぇか?」 「え?」 俺はかごめに向き直って、そっと腕におさめた。 「お前は十分強いと思うぜ? お前みたいな女は、他にいないのだから。 俺の言葉に、彼女は考えるようなそぶりを見せたが、しばらくして腕の中から 「…ありがと。」 と躊躇った返事が返ってきた。 俺は腕の中で小さくおさまる彼女を見て、ふと思い付き様に彼女の衣服の中に手を滑りこませる。と、やはり彼女がその行為に 敏感に反応した。 「…って、ちょっと!!犬夜叉っ。」 「あんだよ。」 「あたし、傷が塞がるまで絶対安静なのよ?」 そう言って、説得力のない真っ赤な顔で胸板を押すので、押さえ込むようにして、俺はもい一度彼女を腕に抱いた。 「いいじゃねぇか、傷に障らなけりゃ。」 「障るわよ。」 尚も反抗する彼女の耳元で小さく呟く。 「心配すんな。それに、子供できたら珊瑚みたいに強くなれるぜ?」 そう言いながら、彼女の着物の帯をとく。 「ちょっ……!!」 彼女は声を荒げ、叫んだ。 「もう!!おすわりっ。」 その声に、俺は昔からのトラウマ…いや、癖になってしまったのか、つい、身を固くした。 そして、もう自分の首にないそれに気付く。 「なっ………何言ってんだよ。こ、言霊はもう効かねぇだろ-が。」 動揺したのを隠したつもりだったが、やはり彼女には見破られた。 「…ぶっ。」 「な、何笑ってんでぃ。」 彼女が笑いを押し殺す。 「効かないとか言いながら、気にしてるじゃない。」 「うっせ-。」 俺はふいと顔を背ける。それを見て、彼女が好都合と言わんばかりに、解かれた腰紐をさっと直した。 「…もう。」 俺はその様子に少し落胆し、彼女の背中に頭を置いた。 「かごめ…。」 すると、かごめは笑って言うのだ。 「…前より甘えたになったね、犬夜叉。」 と。 「………けっ。」 「なんか、安心した。」 「何がだよ。」 俺は床の中でかごめを抱きしめていた。もちろん、唯抱きしめるだけだったが。 「犬夜叉に、強いって言ってもらえて…。」 彼女は小さく言って、俺の胸に顔を埋めた。 「あたしでも、犬夜叉の役に立ててるんだよね。」 わかりきった答え。それでも、彼女は不安そうに聞いた。 「…当たり前だろ。」 俺は彼女を抱く腕に力をこめた。 お前がいないなんて、もう考えたくもない。 「でもね、犬夜叉。」 「ん?」 彼女は唐突に切り出した。 「あたしは人間だから、あんたより先におばあちゃんになっちゃうし、それに…。」 あなたより先に逝ってしまう。 「そんなの関係ねぇよ。」 その言葉に、彼女が顔をあげる。今にも泣きだしそうな表情だった。 「お前が楓ばばあみたいになっても、一生傍に居てやる。」 視線がかちあう。 「だから…。」 先に死ぬなんて言うな。 そこまで言うと、彼女は察したように、優しく笑っていた。 「…うん。」 お前が先に歳をとったって、ずっと傍に居る。それは変わらない想いだった。 唯、俺には想像出来なかったんだ。お前がこんなにも早く死期を迎えること。常に明るいお前が、病に伏せること。 お前に、時を越えた歪みがふりかかること。 それは、お前が居るべき時代でないこの世界に来ると決めた時から、すでにわかっていた、決まっていたことなのかもしれない。 それとも、俺がもっとちゃんと、お前を守ってやれていたなら、こんな風にはならなかったのだろうか。 *** 彼女とこの家で過ごして、もう何年だろう。十年は裕に越えただろう。 彼女は、もう少女ではなく女になった。そして日に日に弱り、床にふせ、今……… 「あたし、わかるんだ。」 あの頃よりか細くなった声が、唐突に放たれる。 「何をだよ。」 俺には、彼女の言わんとしていることがわかっていた。 「お別れだね。」 「かご…」 俺の言葉を、彼女が静かに遮る。 「こんなに早いと思わなかったね。」 何故か、可笑しそうに笑う。 「あたしは死ぬまで犬夜叉が傍に居てくれるんだろうって思ってたけど、後に残す犬夜叉をこんなにも早く手放しちゃうなんて …思わなかった。」 唯小屋の天井を見つめていた彼女が、こちらを向いた。 「ごめんね。」 そう悲しげに笑った。 俺は、何も言えなかった。彼女が体調を崩し始めてから、二人の間では暗黙の了解だったのだ。 あぁ、こうなる運命だったのだ、と。 あの頃よりも互いに成長した分だけ、大切に支え合ってきた分だけ、 あがいてもしょうがない現実を受け入れるようになってしまった。 「犬夜叉。 」 彼女の声は、もうほとんど掠れるような音だった。 「傍に居てくれて、ありがとう。」 そうやって、お前は今も昔も、自分を殺して笑うのか。 「何…言ってんだよ。」 俺は精一杯声を絞った。下手に平然を装って。 「生きて。」 彼女が言う。 「それで、また別の人と………。」 そう言った彼女の目から、一滴、涙が零れる。 「かごめ。」 俺には、お前しかいない。 そんなこと、言わなくたって、わかってるだろ? 逝くな。 逝くな。 逝くな。 「犬夜叉………………」 彼女が呟く。譫言のようだった。彼女は、泣いているのに、笑っていた。 彼女の指が、そっと俺の頬に伸びた。彼女の想いが、唯、唯流れこんできて、胸が塞がった。 「愛してる。」 そう言って、彼女の笑顔とともに、力無く地に落ちる白い指。1番欲しい言葉をもらったにも関わらず、その言葉だけが静かな 小屋の中で行き場を無くしてさ迷った。 「……………か……ごめ………。」 冷たい床で目を開かない、大切な人。 もう言葉を発しない唇をなぞると、彼女の声が聞こえるようだった。 まだ温かい身体を腕に抱きとめ、その温度を自分の身体に覚えさせる。涙は流れるのに、悲しい想いはいつまでも胸に支えて、 鳴咽が漏れた。 「かごめ…………。」 彼女は、この手だけの花だった。摘み取ってしまった罰なのか、手折ってしまった罪なのか、彼女は俺を残して逝ってしまう。 愛してると呟いて。 他の道も、彼女にはあったのに。その方が、幸せだったかもしれないのに。 それでも、俺が、 それでも、 それでも、 それでも、この手に抱いていたかった。 ―――――かごめ。一生、傍に居てやる。
///NIJI SOUSAKU NOVEL///