創作小説

散花

  桜が散れば、彼は帰ってくるのだと、何の根拠もなく信じていた。 「卒業ね。」 分かり切ったことを口にして、再度その意味を確かめる。 「そうだね。」 隣に並んで返事をしながら、教室の窓から見下ろす桜を眺めていた。 「あれからずっと、連絡とってないの?」 「…うん。」 とってない。何度か心を決めてかけた電話番号は、いつの間にか変わっていた。 「辛かったでしょ、この三年間。」 窓から吹き込んだ風が、彼女の胸の花飾りを揺らす。 「辛かったのは、最後の一年だけだよ。」 彼が居た二年間は、言い表せないほど充実していた。 だからこそ、彼がこの学校を辞めて行った最後の一年が、あんなにも苦しかった。 「でも、それも今日で終わるから。」 かからなくなった電話も、彼じゃない誰かが教える国語の授業も、知らず増える陰口も、人目を忍んだ抱擁も、 そんなもの、辛くはなかった。 ただ、自分が生徒で彼が教師というただそれだけが。 「先生には…いっぱい迷惑かけちゃったな。」 辞めさせられて、路頭に迷ってなきゃいいけど。笑えない冗談はいくらでも口をついて出るのに、 彼が、先生が居なくなったあの日から、涙の一つも零れない。 『好きな奴作って幸せになれ。』 居なくなった好きな人は、そう言って幸せだった時間を奪って行った。 大人になれば、分かることもきっとたくさんあるのだろう。それでも、子供の自分を抱きしめた大人の彼は、 過ごした時間を無駄だったとは言わないだろう。 「卒業式終わったらさ、真っ先にここ出るよ。」 湿っぽい挨拶もみみず字の寄せ書きも、規則も縛りもいらない。 「それでさ…」 大人になって彼に会いに行くの。 「いいね。」 「でしょ?」 だって、きっと彼は待ってる。 私が大人になって、 自分以外の誰かと恋をするのを。 会いに行く。 大切な誰かを見つけ、携え、彼に会いに行く。 そして言うの。 私は貴方が大好きだったのよ、って。 幸せになったのよって。


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