二次創作小説

呼んで

「工藤君。」 「は?」 「工藤君。」 「お…おい、蘭?」 俺は思わず読んでいた調査書から顔をあげる。目の前には休日を共に過ごしている彼女の姿。恋人日和の静かな日曜。けれど、 「あたし、今日から『新一』って呼ぶの止めたの。」 「…は!?」 蘭が変だ。 「なんだよ…工藤君って…。」 俺の怪訝な表情に反し、笑顔で工藤邸の掃除に投じる彼女を眺めながら呟く。 蘭に『工藤君』なんて呼ばれたことは一度もない。物心ついた頃から俺は新一で、蘭は蘭だった。 だから、彼女に苗字で呼ばれるなんて、歯痒いと言うより、気持ちが悪いと言う感情に近い。 「工藤君、書斎の掃除済むまでリビングに居て?ここじゃ掃除機の音も煩いでしょ?」 「あ?あぁ…。」 そう彼女に急かされ、席を立つが、どうもしっくりこない。 「なぁ、蘭。どうして呼び方変えたんだよ?」 そう言うと、彼女は絨毯を見下ろしたまま。 「いいじゃない。何でも…。」 そう笑って言うが、何故かその表情に少し違和感を覚え、もう少し追求して見ようかとも思ったが、 思い直して彼女の掃除が終わるのを待った。 リビングのソファで調査書の続きに目を通していると、しばらくして掃除機の音が止み、彼女がこちらに歩いてくる。 「珈琲いれようか?工藤君。」 そう言いながら。 「あぁ。俺も手伝うよ。」 違和感を感じながらもそう返事をすると、 「工藤君は座ってて。」 そう言われる。その言葉に、俺は、ふと思いつく。 そういや、俺以外に蘭が名前で呼んでる男っていないよな。 と。そして、気付くのだ。俺が彼女に苗字で呼ばれている今、彼女に名前で呼ばれる『特別』が存在していないことに。 俺は立ちあがり、彼女がいるであろうキッチンへ向かう。 彼女はキッチンで珈琲メーカーが働き終わるのを待っているところだった。 「どうしたの?」 俺に気付き、何食わぬ顔で彼女がそう言う。 「いや、なんかやることねぇかと思ってよ…。」 「大丈夫。工藤君はあっちで待ってて。」 その一言に、彼女の笑顔を見たにも関わらず、何故か心が痛んだ。 「あぁ。」 んだよ、蘭の奴。俺はただのクラスメートかっつ-の。 心の中でそんな悪態を付きながら、渋々定位置に戻る。あんな呼び方をされたままでは、恋人らしい雰囲気すら出ない。 何故か、彼女に気安く触れることさえ躊躇われてしまう。 寂しい。 「はい、珈琲。」 しばらくして、彼女が戻ってくる。珈琲カップを俺に渡し、いつもと同じように俺の隣に座る。 すると、また蘭の声が飛んでくる。 「工藤君。」 やっぱり歯痒い。というより気持ち悪い…?…いや、気持ちが悪いとかそんな問題じゃない。 気分が悪い。 「工藤君、夕飯何がいい?」 無邪気な彼女の笑顔に苛つく。 「…。」 「工藤君?」 返事をしない俺の傍に、不思議そうな顔をした彼女が少し近づく。 「止めろよ、それ。」 「え?」 「その呼び方止めろっつってんだよ。」 「どうして?」 鈍感な彼女。どういうつもりか知らないが、愛しい彼女に不快感が募る。 寂しい。 「いいから止めろって言ってんだよ!!」 そう怒鳴ってから、しまったと思った。彼女の肩が、小さく波打ったのを見てしまった。 「…あ、悪ぃ。」 彼女から顔を背けて言うと、彼女から言葉が返ってくる。 「名前なんてどうでもいいって言ったじゃない。」 「は?」 俺は見つめ返してくる彼女の目を見ながら、ふと、つい三日前の彼女との会話を思い出した。 『でね、今、園子すごく練習してるのよ。』 可愛くって、と彼女はくすくす笑っていた。 『今度の京極さんの誕生日には、絶対に真って呼び捨てするんだ-って。』 俺はそう話す彼女の横で新刊の小説を読んでいた。 すっかり小説に集中していて、そう話す彼女につい言ってしまったことを思い出した。 『へぇ。まぁ、名前なんてどれで呼んでも一緒だけどな。』 と。 俺がばつが悪くなり、黙りこんでいると、 彼女が少し俯いて、覚えのある台詞を呟く。 「『俺のことは工藤君って呼べよ。』」 「?」 おれは咄嗟には何のことか分からず、彼女の顔を覗きこむ。 「『オメーのことは毛利さんって呼ぶからよ。』………。」 薄っすらと涙の浮かんだ目をこちらに向ける彼女。 あぁ、そういうことか。 俺はさっきまでの苛立ちが彼女への愛しさへと浄化していくのを感じた。 「…悪かったよ。」 そう言うと、彼女は少し怒った顔をする。 「あたし、傷ついたんだから。」 彼女が顔を上げると、その衝動で彼女の目から一粒雫が零れた。 「…新一は、やっぱり今でもあたしのこと、毛利さんって呼んでも何も思わないんだって。 あたしが工藤君って呼んでも平気なんだって…。」 「んなことねぇよ。」 何時間かぶりに彼女が発した自分の名に浸る暇もなく、彼女の言葉を追うように言う。 同時に、彼女を自分の膝に引き寄せ、抱きしめた。 「怒って悪かった。けど、蘭に呼ばれて平気だったら、こんなに怒ってねぇだろ?」 そう言って、彼女の顔を覗きこむと、 「すぐそうやって気障な台詞を武器にするんだから。」 と、頬が染まっているにも関わらずふて腐れた顔をする彼女に笑った。 「なぁ、名前呼んで。」 そう言うと、彼女が素直に呟く。 「新一。」 「もう一回。」 「新一。」 「もう一回。」 そう言うと、腕の中で彼女が身じろぐ。 「…新一?」 「ん?」 「…ちょっと恥ずかしくなってきた…。」 そう真っ赤な顔で言う彼女に、きっと同じように自分も見られたくない顔をしているだろうと思った。 「…俺も。」 でも…、と呟き、彼女の頭を引き寄せる。 「もう一回、呼んで。」


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