創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

  翌朝、目が覚めた時には既にロイは出掛けており、刀も共になくなっていたことから、考えるまでもなく誰かの首を狩りに行った のだとわかった。元々、対した旅賃も持たずに街を飛び出し、ずっと街と言う街にも出会わずにいたのだ。 金がなくては食べる物も手に入らない。ここの宿代さえも払えるかどうか、やっとという程度の金しか今は持ち合わせていない。 大方この辺りの下町でも偵察に行っているのだろう。 「腹…減ったな…。」 俺はシーツを剥いで床に落ちていた下着を拾いあげる。そう言えば、とうに窓から射す日は高い。 「俺も出掛けるか…。」 昨日通った繁華街が気になる。金はないから大した食事は出来ないが、ロイと宿の部屋で摘む程度の食べ物は何か手に入るだろう。 俺は少ない荷物の中から新しいシャツを一枚取り出し、適当に羽織って部屋を出た。 「これもらうよ。」 適当に市場をうろついてすぐ、ある店の店先に積まれた木箱の中から、適当なプラムを一つ選んで口に頬張った。 森で飽きるほど木の実を口にしていたと言うのに、女子供の様に思わず選んでしまった。ロイが見たら笑うだろう。 それ自体、腹の足しにはならないが、口内に広がる甘さは起きたばかりの頭をすっきりさっせるのに丁度良かった。 プラムを手に取ったところで、店の奥から主人と思われる男が出て来る。若そうに見えるが、初老の温厚そうな男だ。 ふと足元を見ると、あるべき男の足は一本しかない。随分器用に片足で歩いて来たので、足元を見るまで気づかなかった程だ。 「金、ここ置いとくから。」  俺の視線の先に気づいただうが、主人は何も言わずにまいど、と笑う。感じのいい男だった。 俺は甘い芳香を放つそれを手に、市を後にした。 「飯屋…。」 口内で大きなプラムの種を転がしながら、余った金で腹を満たせそうな安い飯屋を探して歩く。まだ昼時前の為、店と言う店は 開店準備中で扉には錠がかかっている。 「えらくのんびりとした街なんだな。」 辺りを見回しながら歩を進めて行くが、既に開店しているという店は少ない。 どの店も閉じられた扉の向こうで人が忙しなく動く気配があるので、今正に下準備中と言うところだろう。 「さっきのプラムでも買いこんで、部屋に戻って食うのもいいな。」 そう思い、引き返そうと踵を返しかけた時、すっと角を走って来た人影が、ドンと俺の胸の辺りに勢いよくぶつかり、 俺もその人陰も突然のように尻もちをついた。 「痛って!」 打った腰に手をやり、目を開けると、すぐ正面で自分と同じように地面に尻もちをついて俯いている少女と辺りに散らばった食材 の山が目に入った。 「…っ!…ご、ごめんなさい。お怪我は…。」 「あぁ、大丈夫、大丈夫。それよりバスケットの中身が…。」 腰を上げ、辺りに散らばった食材を指差す。 「あっ。」 緩やかな道の傾斜に沿って、バスケットの中身は随分と遠くまで転がってしまっていた。 「手伝うよ。」 彼女はすみません、と小さく呟きながら、慌ただしく散らばった食材を拾い上げている。俺も慌てる彼女の横でその作業を手伝っ た。膝元に転がっていたパンを拾うと、彼女がそれに気付いて顔をあげた。 「あ、すみません。」 「いや。はい、こ…れ…。」 呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。かち合った瞳に思わず目を見開いた。 「…っ!」 驚いた。拾ったばかりのパンを取り落とすかと思う程。 「あの…どうかしましたか?」 パンを握ったまま目の前で固まっている俺を見て、彼女が不思議そうにこちらを覗き込む。 はっと我に返って手の中のパンを彼女に返し、 「あ、いや…その…。」 と曖昧に呟いていると、彼女は少し不思議そうに首を傾げて、また残りの食材を拾い始めた。 「あ、あんなところまで…。」 ふと少女が心配そうに見つめる先を追うと、一つ小さな紙袋が近くの欄干から転がり落ち、 舗装の行き届いていない畔に転がっていた。 「あ、あぁ…俺が行くよ。」 すみません、と頭を下げる彼女を背に、俺は坂を滑り降りた。小さな袋の中身は外に飛び出していたが、幸いその傍の水溜まりに 嵌ることなく済んでいた。俺はそれを拾い上げ、小脇に抱える。 「…。」 俺は食材を拾う手を止め、そっと後ろを振り返る。先刻の少女が心配そうにこちらを見つめているのが見える。 俺は頭を戻して、また散らばった調味料の子袋に手を伸ばした。 ―似ている。 いや似ているなんてものじゃない。髪の色も、肌の色も、細さも、顔つきも、目鼻立ちも、全て。 ―ロイが見たら、なんて言うだろうか。 「…っと、これで最後―――――」 辺りを見回した時、ふと食材の傍に同じように転がっている小瓶に目が止まる。 真新しいそれはおそらく彼女が食材と一緒にバスケットから落としたものだろう。 「これ…。」 小さな小瓶に入ったそれは、昔目にしたことのある薬だった。 ただ、売春婦や自分のような男娼には馴染みのものでも、あの少女からは想像のつかない代物だ。 俺はその小瓶を彼女に気付かれないよう、自分の上着のポケットに押し込むと、拾い上げた食材を抱えて坂を駆け上った。 「これで全部だよ。」 彼女のバスケットに拾い上げた食材を戻しながら言うと、少女は何度も頭を下げながら小さな声で 「すみません…。」 と言う。 「…。」 改めて近くで見ると、やはり瓜二つだ。 この顔に、あまりいい思い出はないが、先刻拾った薬を何故彼女が持っているのか気になる。 「あの?」  まじまじと自分を眺める俺に彼女は戸惑った顔をする。 「あ、いや。」 彼女の顔を見ていると、あまり詮索する気分にはなれそうにない。このまま立ち去るのが無難だろう。 俺は砂のついた膝を一払いし、 「じゃ、これで―――――」 と言って踵を返そうとしたが、そこで丁度思い出したかのように腹の虫が盛大な音を立てて啼いた。 「…げ。」 思わず零れた声に、一瞬きょとんとした少女はすぐに小さく笑みを零す。 「よければ家にいらっしゃいませんか?うち、小さな小料理屋をやってるんです。」 躊躇ったが、そう言われては断る理由もない。 「…それじゃあ。」 俺はポケットの中で僅かな金を握りしめ、先を促す彼女の後に続いた。


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