創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

「ここです。」 そう言う彼女の正面には、道中、遠慮がちに彼女から聞かされた通りの少し古びた小さな飯屋の小屋があった。 彼女が開けた木戸の向こうには、狭すぎると言っても言い過ぎではないほど小じんまりとした店内が広がっている。 しかし、狭くとも暖色のカーテンと木材で統一された家具の並ぶそこは、暖かい雰囲気で満ちている。 「いい店だね。」 飯屋、というよりはどこかの雑貨店のようだ。俺の言葉に、彼女は振り返って小さく笑う。 「適当に掛けてください。今、食事の用意をしますから。」 そう言って、彼女は持っていたバスケットの中身を順に狭いカウンターの上に並べている。 彼女は多くの食材の中から、先刻中身をぶちまけたことで傷のついてしまった食材をより分け、 鮮度の無事な食材を数種類取り、脇に寄せた。 「…。」 突然、彼女が手を止めて、バスケットの中を覗き込んだまま動こうとしない。俺はその様子を黙って眺めた。 「どうかした?」 「…あ、いえ。」 直ぐにそうは切り返したものの、明らかに彼女の表情は戸惑っている。 恐らく、先刻自分が拾ったあの小瓶がないことに気付いたんだろう。 「ねぇ。」 「はい?」 声をかけると、彼女はバスケットをカウンターから下ろし、何でもなかったかのように調理の方に取りかかった。 「君、一人でここに住んでいるの?」 店構えがしっかりとしている割に、辺りには彼女の物と思われる品以外は特に見当たらない。 「えぇ。両親が三年前に亡くなって。」 彼女は手元の流しの水で、丁寧に野菜の土を拭っている。カウンター沿いのテーブルからは少し距離のある丸テーブルに腰掛けた のだが、小さい店故にカウンターの向こうの彼女の手元もよく見えた。 「そう…。」 売女、と言う訳ではないようだ。 「金に困って、か。」 「え?」 彼女が顔を上げたので、俺は慌てて笑顔を作って話題を逸らした。 「あ、いや。こっちの話だよ。それより大変だね、一人で、なんて。」 そう含みを持たせて言ってみるが、彼女はあっさりと交わす様に笑みを零した。 「いえ…もう慣れましたから。」 彼女が鍋に油を引くと、じゅっと音をたてて鍋の中の水滴が弾けた。 「でも、生計を立てていくのは大変なんじゃない?ここ以外に何か仕事でも?」 そう言うと、一瞬彼女の肩がぴくりと上下した。 「え、えぇ…。」 俺はちらりとこちらを窺った彼女の視線に笑顔を投げる。大凡、予想は当たっているようだ。しかし、どちらにしても彼女からは 自分と同業者の感じは受け取れない。 「…これは?」 ふと、ドアの上の壁にかかっている、小刀の飾りが目に入った。彼女は料理の手を止め、同じく小刀を目にすると、 ほんの一瞬眉を潜めて険しい表情を見せた。 「護身刀です。」 「護身刀?」 「えぇ、私の両親は鍛冶屋もしていたんです。作っていたのは刀ではなく、この店で使う調理器具ばかりでしたけど…。」 よく見ると、店の鍋の取っ手など、何度か手を加えられ、直されているようだ。 「じゃあ、これは?」 俺は再度小刀の飾りに目をやった。 「父が…あ、遊びで作ったんです。家の飾りに…って。」 そう言う彼女は、火にかけた鍋の中身を見つめたまま顔を上げなかった。 「…そう。」 俺はポケットの中で小瓶を握って、彼女とその飾りを見比べる。 「よく出来てるね。」 初めて作ったとは、とても思えない程に。 俺の言葉に彼女は答えなかったが、代わりに皿に盛った料理を静かにこちらに運んで来た。 「どうぞ。うちの店で出している肉のスープとオートミールです。お口に合うかは分かりませんけど。」 テーブルに置かれた皿には、ぶつ切りの肉が溶ける程よく煮込まれた野菜入りのスープと、 ありきたりな言葉通りのオートミールが並んだ。 「ありがとう、頂くよ。」 そう言い、一口スープを口に運ぶ。見た目は普通の料理だが、味は素朴で温かい。店の雰囲気によくあった、なかなかの味だった。 「美味しいよ。」 そう言うと、カウンターに戻った彼女はこちらを見て、初めて照れたように笑った。 「それじゃあ、俺はそろそろ…。」 食べ終わった食器をカウンターの彼女に手渡し、そのまま扉の方へと歩を進めると、それを見た彼女がカウンターの向こうから こちらへ走り寄って来た。 「あの…!ノ、ノアって言います…。」 ふり返ると、身に付けたエプロンの端を握って、彼女がはにかむ。 「またし、食事に来てください…。大したものは出せませんけど…。」 「そうするよ。」 そう言うと、彼女は店のパンと肉、それと先刻俺が食べたものと同じプラムを数個バスケットに入れて持たせてくれた。 「ありがとう。」 そう礼を言って店を出た。少し帰路を歩いて、後ろをふり返る。 「ノア、か。」 彼女の顔を思い出すと、幼い頃の醜い記憶が頭を過る。自分に触れる汚い手と、聞き入れたくない真実の言葉。 何より、見慣れた刀と、それを抱いたあの男を。


Copyright (c) 2003 You Fuzuki All rights reserved.