創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
随分長くノアと言う少女の家に居た様に思ったが、自分よりもロイの方がいくらか後に部屋に帰って来た。
「おかえり。」
「ああ。」
「今日はいつもより早かったんだね。」
刀をいつもの場所に、そして乱雑に革のブーツを脱ぐロイを見ながら、俺はベットに寝転がっていた。
「…この街は食いっぱぐれる。」
帰って来るなりそう言ったロイの額には深く皺が刻まれている。
「収穫なし?」
身体を起こして聞くと、ソファに腰を降ろしたロイは小さく首を横に降る。
「いや。数人、薬をやっていた連中を狩ったが、それだけだ。元々、治安はそう悪くないらしい。」
「そっか。」
どうやら尽きた資金を集めるには場が悪いらしい。堅気の仕事でない分、仕方のないことだ。
ベッドから降り、旅の途中で擦り切れた革靴に足を通す。
「それじゃあ、俺が行ってくるよ。」
「何処へ。」
直ぐさま帰ってきた言葉に俺は首を傾げる。
「何処って…金作りに。」
一瞬、ロイの眉がぴくりと上下したのを、俺は見逃さなかった。
「…いや、いい。」
「でも。」
「数日食える分の金は出来た。次の街が近ければ金が尽きる前にここを発てばいいだろう。」
ロイはこれ以上その話はしないと言ったように、ソファに寝転がるとそのまま目を閉じる。
「そうだけど…。」
「それより腹が減った。何かねぇのか。」
片目を開けて言う仕草に、俺が肩を竦めて
「干肉とパンくらいなら。」
と言うと、また目を閉じて
「それでいい。」
と言う。何処の王様だと思いながらも、俺は口から漏れかけたため息の代わりに
「じゃあ、ちょっと待って。」
と声をかけ、先刻手に入れたばかりのパンのバスケットに手を伸ばした。
「はい。」
備え付けのナイフで干し肉を切り分け終わった頃、俺が声をかけるよりも少し早く、ロイは薄っすらと目を開けた。
「市場で買ったのか?」
肉の皿を受け取りながら、ロイは怪訝そうにこちらを見上げる。金がないのにどうしてだ、と言いたいようだ。
「もらったんだよ。街の子に。」
俺はベッドの端に腰かけ、ロイの食事の様を眺めていた。
「何で、また。」
余程腹が減っていたのか、ロイは豪快に口を開け、パンと肉を同時に放り込んでいる。
「いや、たまたま困ってたのを助けたって言うか…。」
「人助けか。」
ごくんと口の中のものを飲み込むと、ロイは俺を見てにやりと笑った。
「何だよ。」
「いや?」
そう言いつつも、ロイは口の端を上げたままだ。人助け、と言う似合わない行動を小馬鹿にするように笑う。
俺は何だか気恥しくなり、誤魔化すように話を逸らした。
「そ、それより!」
暫く何と言おうか言葉を探す。一瞬、今日街で出会ったノアと言う少女のことが思い浮かんだが、直ぐに頭の奥から払拭した。
ロイには、まだ言えない。
「何だよ。」
言葉に詰まる俺を怪訝そうに見つめる目に耐えきれなくなり、思わず口をついて出た言葉は、
「…まだ、身体だるい。」
昼間から場違いな一言だった。言ってからしまったとは思った。女々しかっただろうかとそれっきり口を噤んだが、
ロイはさして気にしていないかのようにまた酒をぐいっと煽った。
「売りが仕事の男が何抜かしてんだ。」
「…。」
何だか、酷く気に障る言い方だ。ロイが気にしないのはよかったが、その言い草は何だ、誰のせいだ、と思う。
俺が口を引き結んで膨れているのを見ると、ロイの酒瓶を握った手が止まり、
「くっ。」
と漏れる笑い声。それを俺は見逃さなかった。
「笑った…。」
「あ?」
ロイは直ぐにいつものしかめっ面で言う。
「笑ったとこ、初めて見た。」
そう言った瞬間、涙が出そうになっている自分に気づいた。
「…見てんじゃねぇよ。お前もさっさと自分の飯の用意しろ。」
そう言って酒を煽ったロイの顔はいつもと変わらなかったが、ロイが照れていることを俺は見破っていた。
「はいはい。」
そう半笑いのまま席を立つと、背中にロイの小さな舌打ちが届いた。
「何だ、それ。」
バスケットの中から取り出したそれを見て、ロイは首を傾げる。すっかり気に入ってしまったプラムだ。
「プラム。」
食べるか、と少し前に差し出せば、いや、と言って首を振る。
「甘ぇもんはいらねぇ。」
そう言って顔を背けるロイを暫く眺め、俺の頭に小さな悪戯が浮かぶ。
「そ?」
そう言ってロイの正面の壁に持たれて、プラムを口に運ぶ。
一口齧ると流れ出す果汁は、よく熟れたプラムの甘い香りを放って滴り落ちる。
「…。」
ロイは酒瓶を加えたまま、じっとこちらを見ていた。
「甘…。」
俺も、自分の視線をロイの向ける視線に絡める。知っているのだ。
指を伝った果汁を、指の付け根から舌の先だけでちろちろと舐め上げ、指先まで来たら喉の奥に挿しこむように口に含む。
その順序は、いつもあの目を見上げながら繰り返す行為と同じだと。
「…。」
プラムの種を指に挟んだまま唇に押しつけ、にやりと笑うと、ロイが酒瓶をドンと床に置いた。
「おい。」
「何?」
「誘ってんのか。」
「別に?」
誘ってる。来い、とは言わない。ただ、求めて欲しい。
「…。」
ロイは何も言わず、腰を上げて俺の前まで歩いてくる。
「ねぇ。」
俺は汚れていない手をロイの腰に伸ばし、ほんの少し上下に撫でるように動かす。
「やろっか。」
そう言うと、ロイの顔がすっと引き寄せられるように俺に重なり、そのまま壁に押し付けられた。
別に、焦っている訳ではなかった。
ロイは俺を求めている。抱くだけじゃない。口づけを交わしてくれるロイは、酷く優しい。それだけで十分だと思っている。
それでも、こんな他愛のないやりとりの間にふと頭に浮かぶ昼間の少女に、俺は酷く胸騒ぎを覚えていた。
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