創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
帰って来ないことを心配した訳ではない。奴の商売は男娼だ。もしかしたら、とても金になる男を見つけて、
何日も世話してもらっているなどと言うことはあり得る。
そんなことは容易に想像できた。ただ、アランが俺に約束だと言った言葉が忘れられず、それを裏切るような男でもないと心の
何処かで思っていたからかもしれない。気にせぬ振りをしていても、アランの行方が気になって仕方なかった。
「この二人だ。」
いつものように、無駄に広い屋敷の一室で仕事を与えてもらう。依頼主であるランネルという名のその男は、ここ最近立て続けに
俺に仕事を寄越す様になった。よほど自分の仕事が上手く言っているのだろう。俺に払えるだけの金も、俺に殺させるだけの人間
に恨みを買われることも皆、懐に隠している証拠だ。
「同業者か?」
俺は手渡された手配書を眺める。どちらも腰に刀を携えている写真だったが、そこらの成らず者風情に過ぎない容貌だ。
「いや、殺し屋ではない。だが、腕は確かだぞ。」
そう言うランネルをちらりと一瞥し、また手配書に目を落とす。
「へぇ…そんなにか。」
「少なくとも、今までの奴らよりはな。」
「そりゃあ殺り甲斐がある。」
そう言った俺に、男はにやりと笑みを零す。
「殺せばいい報酬だぞ、こいつらは。私の部下が始末に手古摺っているんでな。」
そう言うランネルに、すぐ片を付ける、と言い残し、屋敷を後にした。
ここ数日、アランのいない日々を立て続けに舞い込んでくる仕事で紛らわす様になっていた。
女を買う気にもなれず、溜まった熱もそのままだが、それよりもアランの不在が気にかかって仕方がなかった。敢えて探すことは
しない。もしかしたら、新しい身請け先でも決まったのかもしれない。挨拶もなしか、などと堅気のようなことは言わない。
気にかかると言っても、刀を握っている間はさして気にはならなかったのだ。
ただ、彼の呟いた「約束」と言う言葉は、俺には重い言葉だったと言うだけで。
「ここか。」
俺は街で手に入れた情報で、すぐに手配書の男たちの住処と思われる場所を割り出した。
腕は確かだとランネルは言っていたが、隠れている場所も聞こえてくる噂も其処らの質の悪い輩や雑魚の賞金稼ぎとそう変わらな
い。街で仕入れた話によると、港に近い、造船小屋のような木造の大きな建物の中に手配書の二人が出入りしているとのことだっ
た。たまたま街に買い出しに来ていた船乗りの話なので確証はないが、とにかくその建物のある場所まで行ってみると、如何にも、
というような場所で逆に驚いた。それはまあいいとして、一つ気になる話も聞こえて来た。入ってみる価値はある。
「まあ、顔を拝んで見なきゃ分からねぇな。」
俺はいくつか並ぶうちの一つに薄く扉の開いた小屋を見つけると、音を立てないよう気を配りながらその中へと踏み入った。
中は酷く薄汚れていて、埃っぽさでは俺の部屋に負けていないくらいだ。
「自棄に暗いな。」
日の光の届かない倉庫の奥は、カビ臭い匂いに加えて、むんと湿った空気が立ちこめている。暫く進むと、微かに奥から人の声が
聞こえて来た。当たりだな、と思った。この程度の輩を捕まえられないなど、ランネルに仕えている人間の力量を疑うな、と頭の
中で皮肉る。奥に進むにつれて大きく聞こえて来た話し声に、さらに足音を潜めて進んだ。
「足、開けよ。」
男の声だ。
「おい、抵抗するなよ。」
二人いる。いや、話の内容からして、三人か。
「は…なせ…!」
…三人。しかし、その聞き覚えのある声にそちらを覗き、俺は思わず声を上げた。
「アラン!」
「ロ…イ…。」
血の滲んだシャツが肌蹴、下半身の細身のズボンもコートも剥ぎ取られたアランが、そこに横たわっていた。
一目で、ここで何があったのか察しがついた。俺はその周りを囲むようにしている二人の男を睨みつける。
「手ぇ離せ。」
アランの腕を掴んでいる男を睨む。黒髪に長髪の男は、むさ苦しい不精髭の奥でにやりと口角をあげた。
「何だ、てめぇも男色なのか。」
その言葉にかっとなったが、すぐにその感情を殺す。
「…だったら何だ。」
「悪いがこいつは手放してもらうぜ。そこらの女より具合がいいんでな。」
もう一人の男がアランと俺の間に立ちはだかって、ふんと鼻で笑う。金髪の鮮やかな細身の男だ。
一見其処らのならず者と変わりないが、俺を見返してくる目の色が変に濁っている。
「…お前、薬打ってんのか。」
そう言うと、金髪の男は喉が潰れた様な低い声で笑い、注射針の痕で青く変色した腕を俺の方に突き出して笑う。
「あぁ。お前もやるか。」
「ふざけるな。」
一蹴して、男達の足元でアランが不安げな目をこちらに投げているのが視界の端に映る。
「おい、お前。この男はいいなぁ。口も上手いが、ケツの締まりはもっといいぜ?お前も突っ込んだんだろう。
俺に譲ってくれよ、なあ。」
長髪の男がアランの腕をぐいと引っ張る。男の下着はだらしなくズボンの外にはみ出しており、アランの白い肌は滲んだ血と殴ら
れた痕で赤く染まっていた。
「ロイ…。」
アランが呟く。すっかり弱ってしまった声に、腹の底が沸く。
「そいつを離せ。」
俺が一歩男たちに近づくと、二人同時に胸元から小さな小刀を取り出した。
「何だよ。譲ってくれって言ってんだろ?」
男達は小刀をちらつかせ、一人はアランの首元にそれを突きつけながら温和な声色とは裏腹に、気味の悪い笑顔を浮かべている。
「離せと言っている。」
再度低くそう言うと、金髪の男が痺れを切らしたように怒張した声で言った。
「うるせぇよ、剣士風情が。」
「剣士じゃねぇ。人斬りだ。」
「どっちだって構わねぇな。」
そう言いながら、長髪の男は刀を奮ってこちらに向かってくる。
「ちっ…。面倒な野郎だな。」
腰の刀を引き抜く。切っ先が男の小刀と噛み合う高い音が倉庫の中に響いた。
「俺も結構やるだろ?」
俺の刀を小さな刃で抑えた男が得意げに笑う。その目は死んだ魚のようだ。
「…言ってられるのも今の内だ。」
そう言って力を籠めた刀の先を、男の小刀が掠って離れる。
「何…?」
急に引かれた力の先に体が傾く。その隙を狙って、男が俺の手頸を小刀で弾いた。共に弾かれた刀が、思わず腕を離れて宙を飛ぶ。
「くそっ!」
その隙をついて、男の小刀が俺の体の横をすり抜けようと向かってくる。
「…っ!」
手を離れた刀を気にしつつも、脇を掠ったナイフを掴み、相手の体ごと担ぎあげ、そのまま叩き付けるように床に投げ落とす。
伸びた相手を一瞥し、刃を握った手の平から血が滲んでいることに気づいたが、構っていられなかった。
「ロイ!」
抑え込んでいた男を振り払って、咄嗟に駆け寄ってきたアランが俺の手を握る。
今にも泣き出しそうなその表情に、俺はほんの少し笑いながら、大丈夫だ、と呟いて、アランの体を脇に抱えた。
「すぐ片付ける。」
そう言うが早いか否か、前方からもう一人が奇声と共に向かってくる。
「わああー!」
自棄になったように縺れた足は俺の目の前でぐっと踏み切り、右手のナイフを振り下ろしながら圧し掛かってくる。
避ける寸前で覆い被さるように飛び込んできた体を簡単に交わすことは叶わず、俺は咄嗟に振り下ろされた男の腕を掴んだ。
血走った目は薬を打った人間特有の意味のない酩酊を纏っていて、間近で見ると益々気味が悪い。
「諦めろ。お前の負けだ。」
俺は力まかせに振り下ろされる腕を抑えながら、その男を睨む。
しかし、薬と過剰な興奮で我を忘れているのか、男はぶつぶつと何かを呟きながら全体重で俺を地面に抑え込もうとする。
細身とは言え、大の男の体はなかなか振り払うことが出来ず、握られたナイフの先が徐々に俺の鼻先へと近づいてくる。
「くっ…。」
思わず声が零れた時、自分の背に庇っていたアランの気配がふっと消える。
「…!」
俺が声を上げかけたその時、先刻投げ飛ばした男の傍へ走っていくアランの姿が視界の端に映った。
何をしようとしているのか一目瞭然のその動きに、俺に矛先を向けていた男が素早くアランの方へと向きを変える。
「ロイ!」
「…っち!」
男が駆けていく先には、俺の刀を掴んだアランがいた。
「投げろ!」
俺は数歩先を行く男の後ろから叫ぶ。弾けるようにアランが刀を振りあげ、すぐにこちらへ投げて寄越したが、
そんなアランに既に俺の先を行く男のナイフが振り下ろされようとしていた。
「ロイ…!」
搾り出すように紡がれた自分の名に、はっとする。間一髪、アランに向いた切っ先が振り下ろされる前に、俺は掴んだ刀で前を
行く男の背中を切り裂いた。
「がっ…!」
潰れる様な呻きと共にばたりとその場に倒れた男の傍を、アランが真っ青な顔で後ずさる様に離れる。俺は念のため背中側から
男の背を一突きし、刀を鞘に仕舞った。アランがほっと息を吐く。俺は刀の血を振り払いながらアランを振り返る。
「…ったく。無茶すんじゃねぇ!」
アランはただ、ぼうっとそこに立ちつくしたままだ。
「ロイ…。」
それは安堵なのか何なのか、アランはゆっくりと俺に視線を絡める。随分怖い思いをしたのだろう。細い足が小刻みに震えている。
その様子に、つい荒げた声色を緩める。
「怪我ねぇか。」
そう言って近付くと、アランは一瞬ぎこちなく微笑んで、そのままその場に崩れるようにして倒れた。
「おい!」
駆け寄って体を抱き起こす。ただ気を失っているだけだと分かってほっと息を吐いた。
「…よかった。」
無事で。
そう呟いて俺は気を失ったアランを担ぐ。血生臭いその場を早々にたちのいて、俺達は夜の街に紛れた。
Copyright (c) 2003 You Fuzuki All rights reserved.