創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

  「は…なせ…。アラ…っ!」 途切れ途切れの言葉に、アランは嫌々と言うように首を振りながら、苦しそうに喉を鳴らす。目には涙を浮かべている癖に、 俺の切羽詰まった声を聞いては嬉しそうに口元を緩めて口を動かす速さを速める。俺はその動きに耐えられず、 情けなく小さな声を漏らすと共に、白濁をアランの口内に吐き出した。 荒い息を繰り返しながら、呆けた様に座り込んでいるアランを見る。いくら処理行為だからと言って、男の口の中に無慈悲に自分 のモノを吐き出す趣味はない。いつもぎりぎりのところで離せと言うのだが、アランは決して言うことを聞かない。 汗ばんだ身体のままベッドに寝転がる。シーツのひんやりとした冷たさに目を瞑ると、ベッドのスプリングがきしりと鳴って、 顔の上に影が被さる。目を開けると、アランが俺を覗き込んでいた。 「もういいの?」 アランは不思議そうにそう言う、いつもなら自分が満足するまで何度でもアランを己に押しつけているのだが、 今日はそんな気分ではなかった。 「ああ…。」 そう言ってまた目を閉じると、昼間のエリガルの顔が浮かんで、瞑った瞼にさらにぐっと力が籠る。エリガルに対する怒りなどと 言うものよりもむしろ、 「ロイ、なんかあった?」 「いや…。」 俺は目を瞑ったまま、未だ自分を覗き込んでいるのであろうアランに返事をする。 エリガルにではない。むしろ、アランに対する独占欲が湧き起こり始めている自分に、だ。最近特に感じるのだ。 アランの色香に飲まれていく自分を。 目を瞑ったまま黙っていると、しばらくして自分の横でスプリングが大きく揺れる。 目を開けて右隣を覗くと、アランが上ってきて、隣に寝転がろうとしている。 「何だ、ここで寝るのか。」 アランはすっかり自分の寝床になったソファを一瞥してから、俺の横にごろりと寝転がった。 アランと言えど、理由もなく男と一つのベッドで寝るというのは何処か違和感がある。 「ちょっとだけだよ。」 そう言って悪戯っ子のように笑うアランに、俺はそれ以上何も言えない。甘い、のだろうか。 当の本人であるアランはそんな俺に気づく様子もなく、上向きで寝転がる俺の真似をして、 同じように染みだらけの天井を眺めている。その顔をちらりと横目で窺うと、男にしては長い睫毛も白い肌も、 先刻の情事でほんのりと蒸気し、震えている。 自分は快感など得ていないはずなのに、その表情は恍惚として見え、それに自然と惹きつけられた。 ふと、アランが視線に気づいてこちらを見る。俺は慌てて顔を逸らし、天井を見上げながら誤魔化すように言葉が口をついて出た。 「お前、どうして男娼なんてやってる?」 言ってから、しまったと思った。お互いに仕事については干渉しないのが暗黙のルールのようなものだったのに。 が、アランは思ったよりも静かな声で返してきた。 「…何、急に。」 いくらか沈んだように聞こえるその声に、俺は目を閉じて首を振った。 「いや、いい。忘れてくれ。」 馬鹿なことを口にした、と思う。互いの深い部分に干渉すればするほど、人間というのは面倒な物で、それが同情であろうと卑下 であろうと、自分の境遇と重ね、繋ぎ留めようとする感情が生まれる。 一時の沈黙があった後、アランは俺と同じように天井に視線を戻し、静かに口を開いた。 「売られたんだ。」 「え?」 俺は思わずアランを見た。アランは目を閉じて眠ったように寝転んでいた。 「売られたんだ。世話役だった女に。」 閉じられている目の色は窺い知れないが、そう言った声は事の割に落ち着いていた。 「俺、孤児でさ。子供の頃から資産家の屋敷に仕えてた女に育てられてたんだけど…。」 アランはゆっくり目を開き、俺の方に顔を向ける。絡んだ視線の先で、アランが困ったように笑った。 「男と暮らす金がないんだって言われて。」 「…。」 俺は何も言えず、ただ視線を絡めたままでいた。 「だから俺、女は抱かないんだ。女を抱けない訳じゃないけど、女が男を選ぶ理由が知りたくて…。」 「その為に、自分が男に抱かれるのか。」 そう聞くと、アランは悪戯な笑みを浮かべて、 「きっかけはそうじゃないけど…。でも、単にエクスタシーの為でもあるし…ね。」 と言う。その笑顔は、いつものように上手く取り繕われていたが、俺の目には痛々しく映ってならなかった。恐らく、彼の純粋さ は演技ではない。純粋な人間が穢れを選ばずにはいられなかったから、その純粋さが酷く滑稽に見えているだけなのだ。 俺が見つめたままでいると、今度はアランの方がばつが悪そうにして、 「じゃあ俺、そろそろ寝るよ。」 と身体を起こす。 「アラン。」 俺は離れて行こうとするアランの腕を掴んだ。驚いたようにふり返った目を見て、 「今日だけなら、ベッド貸してやってもいい。」 「え?」 「その代わり、俺もここで寝るぞ。」 と言うと、アランは暫し驚いたような顔をしていたが、すぐに嬉しそうに笑い、元のように隣に寝転がった。 「…うん。」 枕元のスタンドの明りに手を伸ばす。ほんのりと照らされていた明かりが落ち、部屋は暗闇と月明かりだけに覆われる。 何故か、先刻までのように二人でベッドに並んで眠ることへの違和感は消えていた。 目を閉じ、一つ大きく深呼吸する。すぐ隣から、自分のものとは違う呼吸が聞こえるのに、心はとても穏やかだった。 「ありがと、ロイ。」 眠りに落ちる瞬間、そう呟かれたアランの声を聞いたような気がした。 また、あの夢を見た。 『ロイ。』 俺の顔を流れる雨も、彼女の目には涙のように映っていたのだろうか。 『さよなら。』 そう呟いた時、彼女は何を考えていたのだろうか。 目覚めると、冷えた朝の空気が漂っていた。 最近、この夢をよく見るようになった。以前まで、頻繁と言っても月に一度と言うくらいだったが、近頃は多くて三日に一度。 身体を起こし、ため息を吐くと、それに気付いたアランがおはよう、とシャワー室の方から顔を覗かせる。 俺はあぁ、とだけ呟いて、自分もシャワーを浴びようとベッドから足を下ろすと、すぐ足元にアランの体の影が落ちる。 「ロイ、今日は仕事?」 見上げると、にこりと笑ったアランの顔がそこにあった。 「そうだが…。」 「遅くなる?」 矢継ぎ早にそう聞くアランは自棄に上機嫌だ。 「何故だ。」 俺が怪訝そうに問うと、アランはにこりと笑ったまま俺の腕をすっと指でなぞる。それだけで、俺は内側に熱い気が流れた様な 妙な気分になる。 「ベッド貸してくれたお礼、してあげるよ。」 耳元に顔を寄せたアランはそう甘い声で呟いて、俺が無意識に腕を伸ばす前に傍を離れる。どうやら昨日の俺の似つかわしくない 優しさが嬉しかったらしい。俺はふわりと離れて部屋の隅でシャツを羽織っているアランを振り返りながら、 「…ったくお前は。朝からそんなこと言うんじゃねぇよ。」 と苦笑した。 「俺も早く帰ってくるからさ。約束だよ。」 そう言って、アランはいつもの高そうなコートを羽織る。どうやら今日は奴も仕事らしい。 「じゃあ俺、出掛けるね。」 返事を待たずに少し急いで部屋を出て行く様子を見ると、どうやら俺が目覚めるのをぎりぎりまで待っていたようだ。 そう思うと、ほんの少し、昨夜並んで眠った時のような温かさが胸に湧く。 「約束、か…。」 アランの出て行った扉の向こうを眺めながら、思わず小さな笑みを零す。 今日は早めに切り上げないとな、などと柄にもないことを一瞬考え、それを誤魔化す様に椅子にかかっていたバスタオルを取って シャワー室へと向かう。呑まれていく自分をそう悪くないなどと思いながら。 しかし、その夜も次の朝も、約束通り俺の待つ部屋にアランが帰ってくることはなかった。


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