創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

暫く眠って、疲れのとれた身体が自然に目覚める。 一瞬、アランの姿を探したが、恐らく今日は帰ってこないのだろうと考えていたことを思い出す。 ベッドから降りて食材庫を漁るが、簡単に食べられそうなものは果物くらいだ。 今までは、アランのいない日でも出来るだけ自分で賄っていたのだが。 「…久しぶりか。」 腰に刀を携える。厭味の一つも言われるだろうかと若干苦々しく思いながら、俺は静かな部屋を後にした。 「生きてたのか。」 「随分な言い草だな。」 エリガルはいつものようにカウンターの奥で洗ったばかりのグラスを拭いていた。 「だってよ、最近来ねぇから。」 寂しかったんだぜ?と歯を見せて笑うエリガルは、俺がいつもの席に座ったのを見て酒瓶を一本目の前に差し出した。 「気色悪いこと言ってんじゃねぇよ。さっさと何か食わせろ。」 「金は?」 「…。」 切り返された言葉に、俺は思わずばつの悪い顔をしてしまった。払えない訳ではない。ただ、払わないに超したことはないだけだ。 エリガルはふぅっと小さくため息を吐いて、くるりとこちらに背を向ける。今日は見逃してはくれないようだ。 「おい。」 背中に声をかけるが、エリガルはカウンターの向こうでグラスを拭いたまま、こちらを見ようともしない。 店に顔を出さなかったことを拗ねているのだろうか。 変に面倒くさい男だ。まぁ、俺以外に客の入りがほとんどないことは確かなのだろうが。 「…腹減った。」 縋るように一言そう言うと、大きなため息がわざとらしく耳に届いた。 「ったく。」 俺がにかりと笑うと、エリガルは呆れた様に安い肉をオーブンに並べる。次は金持って来いよ、と一言余計に付け加えながら。 「それで、どうしてたんだよ。」 エリガルが出した料理はいつもと変わらず上手くも不味くもなく、という感じだったが、俺の腹を満たせる量を知っているこいつ の料理は、必ず俺の腹に満足を与える。 慣れと言うものだろうが、その点アランは一度でそれを心得ていたようだった。大したもんだな、と思う。 「どうって?」 酒を傾けながら問い直す。エリガルはおいおい、と呆れた様に笑って言った。 「飯だよ。まさかてめぇが毎日料理なんて…。」 まさかな、と若干気持ち悪がるように顔を歪めたので、俺はすぐに否定した。 「するわけねぇな。」 そう言うと、だろうな、と返って来た。 「まあ、いろいろあってな。」 「ふぅん。相変わらず女買ってんのか。」 「ん?ああ…。」 女…いや、男だが、買っているわけでもないし。などとどうでもいいことを考え、エリガルに男にやらせているなどと言ったら 裏商売の客にされかねないので黙っておいた。 俺の曖昧な返事を不審に思ったのか、エリガルはこちらを窺うような視線を送る。 「…何だよ。」 俺は平然とした振りをして酒をぐっと喉の奥まで飲み干した。 「いや?」 ほらよ、と出された肉料理に手を伸ばしながら、奴の隙をついてカウンター横の酒瓶に手を伸ばす。 「あ、それは高ぇんだよ!こっちにしろ。」 と直ぐさま安そうな酒にすり替えられたことに舌打ちして、そのいかにも安そうで埃をたっぷりと被った瓶のコルクを引き抜いた。 「ったく、金もねぇ癖に図々しい奴だな。」 「金ならある。」 「何だよ、持ってんのか。」 目を見開く様に、咄嗟に目の色変えやがって、と思ったが、これもまた黙っておく。 「少し前に高値のカモを殺ったんだ。」 今日は払いを取られることを覚悟しておこう。そんなことを考えながら、かちゃりと商売道具の刀を鳴らすと、エリガルがにやり と口角を持ち上げる。けれど、吐かれた言葉はやけに棘のある言い方だった。 「へぇ。そりゃあ、よかったな。」 「何だ。てめぇは儲かってねぇのか。」 俺は酒瓶に口をつけながら聞く。エリガルが金に困っているなど、実際珍しいことなのだ。 この店の売り上げはともかくとして、要領のいいこいつが裏商売でしくじることなど滅多にない。 エリガルは自分も安そうな小瓶の酒に手を伸ばしながら、顔を顰める。 「店はこの通りだがな、売屋の方もつい最近上玉に逃げられたところなんだよ。」 「お前の扱ってる売男か。」 「ああ。ちょうどそいつの身請け先が決まったところだったんだが、大金振り込んでくれるはずの奴が死んだらしくてよ。 そのゴタゴタに紛れて売り物の方も姿眩ませちまった。」 珍しく酒を煽りながら話すエリガルを眺め、そう言えばアランの境遇もそんなもんだったな、などと思う。 「…そりゃあ、災難だな。」 俺はなんとなく話題を変える為それだけ返事をすると、エリガルはさらに悔しそうにため息を吐く。 「うちの特級品だったんだよ。身請け先も1番の富豪だ。」 そう言って、あぁ、と思い出したように続けた。 「お前なら名前くらい聞いたことがあるだろ。」 「あ?」 「買い手はジェフって腕利きのスコーピオンだ。」 悪事を働く人間の嫌な予感ってのは当たるものだと思う。俺は殺したばかりの、いつもなら忘れかけた頃の殺した男を思い出す。 「ジェフ…?」 つい漏れた言葉に、エリガルは酒を流し込んでいた手を止める。 「何だ、やっぱ知ってんのか。」 俺は酒瓶を見下ろしたまま、 「いや、名前を聞いたことがあるだけだ。」 と誤魔化した。その男を殺したのも、その上玉を事実上掻っ攫ったのも自分なのだ。 まさか、アランの売り手がエリガルだとは思わなかったが。 「それで?その売男はそんなに上玉なのか。」 俺は何も知らない振りを装って、未だぶつぶつと文句を垂れているエリガルに尋ねる。 俺の言葉に、エリガルは思い出したようににやりと笑う。 「そりゃあ…ここらじゃ頭一つ抜きん出た腕を持ってるぜ?」 そう言った顔は其処らの輩よりも凶悪で、自分もその言葉に心の内で賛同する。 「試したのか?」 酒瓶を傾け、エリガルの向こう側に見える酒棚の瓶を眺める。目を合わせれば見透かされる気がした。 「まあな。」 そう言うエリガルの声は、ほくそ笑むように耳に届いた。 自棄に勘に触る言い方だったが、ここで何か下手をすれば、アランを囲っていることがばれるかもしれない。 「…そうか。」 俺が素っ気なくそう言うと、エリガルは未だにやにやと顔をほころばせながら言う。 「何だよ、興味あんのか?他ので良かったら、どれか買ってくか?」 「いや、そうじゃねぇ。」 そうじゃねぇけど。ただ、俺は何故こんなにも腹が立っているのだろう。 じわりと湧き上がった嫌悪感に、飲みかけのボトルを掴んだまま席を立つ。 どうした、と見上げるエリガルに、ポケットから取り出した札を数枚突きつけ、仕事だ、と言って店を出た。 「なんだよ、変な奴だな。」 そう言うエリガルの声が耳に届いたが、俺は早々に店の門をくぐっていた。  


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