創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

小屋の扉を開けるまでもなく、少し空いた隙間から覗く中は真っ暗で、人影を感じさせない、いつもの様子だった。 中に入り、念の為に声をかける。 「おい。」 案の定、静かなままだ。 「…いないのか?」 どこへ行ったのかなど、聞くまでもない。俺は上着と刀を椅子の上に放り、とにかく血生臭いシャツを無造作に床に脱ぎ捨てる。 大方、男を釣りに行ったのだろう。自分の金は自分で稼ぐと言っていたことを思い出す。 仕方ないのは自分だな、と苦笑にも似たため息を吐いた。 他の男を幾ら釣ろうとそれはアランの勝手だ。だが、奴が他の輩を相手にしていては俺の自由自在にはならないと言うことでも ある。少なくとも今夜の熱は行き場を失って滾っている。こんなことなら先刻、街で女でも買えばよかっただろうか。 アランを囲えばいいだけのこと。 そんな甘えたことを一瞬でも考えない訳ではない。結局は奴を当てにして帰ってきてしまったのだから。 しかし、それではあのジェフとか言う男色の男と変わりはない。 いや、それよりも今の俺はアランの思う壷だろう。 「面倒臭ぇ…。」 そう思うのに、あの男の甘い誘いを真っ更に戻す気にはなかなか慣れない。空腹と欲を抱いたままベッドに寝転がる。 このまま眠ってしまえば何事もなく朝だろう。 一度寝入ってしまえば、余計なことも考えなくて済むのだ。そう思い、俺は静かに目を閉じた。 次に目を覚ますと、寝転んだ頭の上の小窓からはまだ月明かりが射していた。どうやらあまりよく寝付けなかったらしい。 月の位置から、まだ朝まで長いことが分かる。小さく吐露すると、それに気付いて足元のスプリングがきしりと揺れた。 「起きた?ロイ。」 顔だけを上げて足元を覗くと、アランがこちらに身を乗り出している。 「…帰ってたのか。」 「うん、ついさっきね。」 「そうか。」 俺はもう一度シーツに寝転がる。アランがこちらを覗き込んで言う。 「何か食べる?」 「ああ。」 そう言うと、またスプリングが軋んでアランが離れる。アランが動いた後でふわりと煙草の香りが漂い、俺の鼻を掠めていった。 いい葉を使った葉巻の臭いだ。随分金回りのいい人間に買ってもらったようだ。 「おい。」 身体を起こし、腕を掴んで、離れていくアランを引き止める。 「何?」 振り返った先にあった俺の瞳を見て、アランはそれ以上を口にしない。暫し視線を絡めた後、俺の意を悟ってふわりと笑うと、 「いいよ。」 と足元に跨がった。 他人の快楽の為に必死で頭を振るアラン。この姿を見るのはまだ二度目だと言うのに、 まるで奴の全てを支配しているかのような気分になる。 「ふっ…ん…。」 時々漏れる甘い声。美味い酒に酔った時のような淡い酩酊に、俺はくっと息を呑む。 焦がれるように求めたのは、俺がアランから香る他の男の臭いに嫉妬したのだろうか。 行為を終えるとすぐ、自分の腹の上にいるアランの肩を押し退け、立ち上がる。 「吐け。そんなもの飲むんじゃねぇ。」 そう言ってアランの口の中に自分の中指を突っ込み、中の白濁を吐き出させる。アランは苦しそうにニ、三度咳払いしたあと、 不満そうにこちらを見上げた。 「何で?俺の客はみんなこうすると喜ぶけど…。」 「お前に金は払ってねぇ。」 俺は客じゃない、と言いかけて口を噤んだ。 「いいんだよ、ロイは。」 そう言って自分の口元を指の腹で拭いながら、アランは妖艶に笑う。 「家賃だって思えば?」 卑猥な様にも関わらず、酷く幼い無邪気な笑顔を浮かべながら、アランはまた顔を俺自身に近付ける。 「何度でもいいって言ったのに。」 拗ねたような呟きに、俺は返事の代わりにアランの茶髪を片手で一度梳いてから、力強く己の下に押し付けた。 俺は、それから何度となくアランの一方的な行為を受け入れ続けた。 ほとんどが人斬りとしての仕事を終えた後、それはまるで決まり事であるかのように、アランは帰って早々、返り血塗れの俺に 縋り付く。熱を抱えた俺がそれを拒む理由もなく、時に何かに取り付かれたように、熱を出しきった俺に縋り付いたままアランが 一晩中離れないと言うこともあった。しかし、決して俺から奴に与えるものなどなく、ただそれぞれの役割として互いの役目を こなすことが当たり前かのように日々は過ぎて行った。 正直、俺はアランが時期に音をあげるだろうと踏んでいた。が、彼はこのメリットのない関係に不平を言ったことはない。 住む場所など、探せばいくらでもあるだろうに。 そう思ったが、意に反して奴に依存した身体がそれを口にすることを躊躇っていた。 「あ!」 朝から一際大きく響き渡るのはアランの声だ。 「何だよ、うるせぇな。」 俺は顔を顰めながら、先日買ったばかりの研ぎ道具に手を伸ばす。これの御蔭で刀の切れ味が大分いい。 長く手に馴染んだいい刀だが、さすがに無理をさせ過ぎていた。まあ、斬るのは人だから、斬れ味はどうでもよいのだが。 アランは着替えの途中だったのか、男のそれにしては白過ぎる肌を惜し気もなく曝しながら、俺の着ている黒のシャツを指差した。 「それ!今着てるシャツ、俺の!」 「あ?これか。」 「そう!」 手を止めて、自分の着ているシャツの端を指で摘んで持ち上げる。そういえば何処と無く小さい気がする。 「ああ、借りてる。」 「駄目だよ!今日仕事だろっ。」 「だから何だ?」 首を傾げる俺を見て、アランは焦れたように声を荒げた。 「汚してくるだろ!絶対っ!」 「しねぇよ。」 「する!」 アランはずかずかと俺の傍まで歩いてきて、俺の上半身からシャツを引っこ抜いた。 高いのに、とか伸びちゃうじゃん、とか呟きながら。 「返り血とか銃痕とか!」 「あー…。」 心当たりがない訳ではない。つい数日前も血まみれのシャツで出掛けようとしていたところをアランに咎められ、 追剥にあったかのように真新しいシャツと交換された。 「気をつける。」 そう言って、盗られたシャツに再度伸ばした手は簡単に払われてしまう。 「嘘!」 そう言って俺から取り上げたシャツを今度は自分がすっぽりと被ると、まだ何やらぶつぶつ言いながら扉の方へと歩いていく。 女々しいな、と鼻で笑うと、奴がキッとこちらを睨んだ。 「出かけるのか?」 アランはシャツを整え、高そうな革靴に足を通す。 「うん。そろそろ働かないと。ちょっと行ってくるよ。」 まるで買い物にでも行くかのような軽い口調で、アランは仕事用の少し質のいいコートを羽織った。 釣った男の金で、新しい男を釣る為に買ったコートだ。 出掛ける時は、いつも着て行く。 「ロイは?」 出掛け様に、アランが振り返って問う。 「この間殺った輩が高値だったんでな。まだ余裕がある。」 「そう、わかった。」 じゃあね、と緩い笑顔を残して、アランは部屋を出ていった。静かになった部屋の中で、上半身裸のままベッドに横たわる。 「今日は飯抜きだな…。」 アランはたまにしか仕事には出掛けない。身体に負担のある商売だから、それも当然かもしれないが、たまに仕事だと言って 出かけた日は必ず帰ってこない。要するに、奴に引っ掛かる男は無数にいると言うことだ。以前、酒の上の話の流れでアランから 聞いたところによると、奴に声をかけてくるのは男だけではないと言う。それも当然だろうと思うが、基本アランが相手をするの は男らしい。抱く側ではなく、抱かれる側。仕事に関して詳しい詮索は互いにしない為、その理由は知らないが。 俺は持て余した時間を久々にゆっくりと昼寝に使うつもりだったが、近頃アランが出掛けて直ぐはあまり寝付けないでいた。 それは子供のように忙しなく動き回るアランの有無で、静けさと騒音のギャップに身体がついていかないからだと思うようにして いる。俺の頭は何度か寝ては覚めてを繰り返しながら、夢の狭間に先刻のアランの黒いシャツを思い浮かべた。


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