創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

とりあえず食事にしようと言い出したのは奴の方だった。 「食事なら一人で食え。俺は出かける。」 そう言って椅子に引っ掛けてあった上着に手を伸ばすと、それをアランの腕が音もなく遮ぎる。 「どうせ外で食べるんでしょ?」 だったら一緒に、と笑うので、俺は顔を顰めつつも仕方なく椅子に腰を降ろした。 「俺が作るよ。」 そう言って、アランは部屋の隅で食材の入った木箱を覗く。 「食事なんて作れるのか。」 そう言った俺の言葉に、アランは大したものが入っていない木箱を眺めながら苦笑する。 「料理人の知り合いがいるんだ。」 「客か?」 「ううん。」 アランは木箱の中から数種類の野菜とパンを一斤取り出す。 「気になる?」 そう言ってちらりとこちらを伺う目は笑っている。時折垣間見える売男の顔に、俺はまるで自分が男色として扱われているようで 軽い屈辱を覚える。 「ふざけたこと言うんじゃねぇ。」 少し凄んでそう言うと、アランは眉を下げて、 「ごめん、ごめん。嫌いだったね、そう言うの。」 と言って、また何でもない様に流しの横の質素なテーブルで器用に野菜を切り始める。 掴めない男だ。 すっかりアランのペースに巻き取られている俺は、今度はこちらが子供の様に渋面のまま食事が出来るまでずっと口を噤んでいた。 アランの料理はそこそこの味だった。凄く上手いとまでは言わないが、不味くはない。人波程度だ。 少なくとも自分が作る下手物のような食事を食べなくて済むとか、エリガルの野郎に貸しを作らなくて済むと思うと、 現金にもアランを部屋に置いている現状を些かフィルター越しに見ることができた。 特に食事の感想も言わなかったが、俺の表情からそれを読み取ったのか、アランは機嫌よく洗い物までこなした。 それはそれでどう取られたのか気恥ずかしい思いもしたが、余計なことは言わずに席を立った足で部屋の隅まで行き、 立て掛けてある刀を腰脇に挿した。 「行くの?」 「ああ。」 昨日今日の関係にも関わらず、すんなりと意思疎通した短い会話を交わし、俺は部屋を後にする。 扉が閉まる瞬間背に聞こえた声には、思わずぐっと息を呑んだ。 「いってらっしゃい。」 「ご苦労だったな。」 「いや。仕事だ。」 男は広い部屋の奥で、装飾の派手な椅子に腰かけていた。どっしりした身体が椅子に収まると、 「お前は相変わらずだな。」 と男が笑う。その顔はこちらも相変わらずだと思うほど良け好かなかったが、ぽんと投げるように寄越された金の束を見て、 それを言うのは止めておいた。 「今回の分だ。」 俺はその札束を掴んで上着の内ポケットに仕舞う。いつもの倍以上の報酬だ。 「どうだ。ジェフはなかなか勘のいい男だっただろう。」 「まあな。」 自分が殺した人間の話など、それを依頼した人物と暢気に話したくもない。普段なら、数日すれば、 斬った人間のことなど思い出せなくなる。今回だけが例外なのだ。 「それより、次は。」 そう言う俺に、男は声を上げて笑う。横に仕えていた男がちらりと奴を伺った。 「残念だが、今回は見送ってくれ。簡単に殺してくるお前に払う金は、そう毎回用意出来んからな。」 「…。」 「悪いがそこらの札付きの輩でも殺って食い繋いでくれ。」 そう一見穏やかに見える男の目が、分かったなら出ていけ、と告げている。俺にも用がないなら、ここに長居する理由はない。 「…分かった。」 俺は踵を返して、広い屋敷を後にした。 暫くはこの金で何とかなるだろうと、俺は裏街でカモを捜しながら、上着の内側に手を差し入れた。久しぶりの大きな収入。 しかし、もう自分には以前ほど女を買う必要も、エリガルの店でタダ飯を食う必要もなくなったことに気付く。急に使い道が なくなったようで手もちぶたさな気分だ。 『いってらっしゃい。』 朝は、慣れない言葉を聞いた。今から人を殺りに行く男を送り出すなど道理から外れていることこの上ない。 アランを引き受けた初日から、これほど自身が掻き乱されては先が思い遣られる。 たかが性欲処理の為に受け入れただけだと言うのに。 『毎晩でも、何回でも。』 アランの言葉が頭の中で木霊する。あれほど甘美な声を出せる者など女でもそうそういないと思う。 俺はアランの赤毛を掴んで無意識に奴に嵌り込んでいった昨夜を思い出す。 「いつもと逆だな…。」 俺は記憶の中で育った熱を振り払う為、愛刀の黒鞘に手をかけた。 目の前から歩いてくるのは図体のいい二人の男。柄の悪い顔は何処かで見たことがあったがもう忘れた。 どちらも値は低いが賞金首。 「なんだ、兄さん。眼飛ばして。」 俺に気付いてそう言う男に俺は言った。お前のこと知ってるぜ、と。 生きていようが手応えも何もなかった二つの骸をその関係の店に引き渡して端金を受け取ると、夕刻前の教会の金が傍で大きく 響き出す。後ろめたいなどとは思わないが、人を殺める生業の自分には好ましい音ではない。 こんなにも金の音が大きく聞こえると言うことは、今から小屋に向かって帰り始めれば帰りつく頃にはもう夜も更けた後だろうと 思う。大して知りもしない人間の血で表裏が傷つき始めている自身の刀を見て舌打ちをする。 「そろそろ手入れしねぇとな。」 明日にでも手に入った金で鍛冶道具を買いに行こうなどと考えながら帰路につく。先刻から腹の虫も盛大に啼いている。 そう言えば、朝から何も口にしていない。間の悪いことに先刻殺した男達の返り血がべっとりと服に染みついていて、 この姿では入れる店など勝手の知れたエリガルの店くらいしかないだろう。 俺は自分の胸ポケットをちらりと見下ろす。今日は大金を抱えている。あの勘のいい男ならそれを見極めて今までのツケ代を 取られるに決まっている。大人しく帰る方が得策だろう。 小屋のある方角の空を見上げる。多少不本意ではあったが、部屋に居座ったあの男を思い出す。 「食えりゃあ、何でもいい。」 そう言い訳のように呟いて、傾きかけている日の下を目指して歩いた。  


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