創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

部屋に帰ると、中にいたアランが扉を開けた俺を驚いたように振り返る。 仕事に出ていれば、まだ部屋にはいない時間だと踏んで、こっそり帰って来たというような様子だった。 「お…かえり。」 俺は答えずに部屋の奥で上着を脱いだ。アランは視線を泳がせながら部屋の中央に立ち尽くす。 「遅かったね。」 一瞬、いつもなら部屋に入ってすぐに入口で下ろす刀を身につけたままでいることを疑問に思ったのか、アランの視線がちらりと 俺の刀に移った。が、またすぐに上着を脱ぎ捨てた俺を見る。 「仕事が入った。」 そう言って刀をかちゃりと鳴らすと、アランがまた俺と刀を交互に見た。 「今から…?」 「あぁ。高値のカモだ。」 俺はアランをふり返ってにやりと笑った。数秒、視線が絡む。まともに視線を交わしたのは何日振りだろうか。 「でかい金が入る。」 そう言うと、アランはいつもと違う俺の様子に驚いたように目を見開き、すぐに言葉を紡ぐように口を開いた。 「へ、へぇ…。そんな奴がいるのか。ここらの奴じゃないだろ。よそ者か?」 久方ぶりにまともに口を聞いた俺を見て、アランはほんの少し頬を緩める。けれど、俺はアランを見つめたまま、色のない表情を 崩さないよう保つ。 「いや。」 抑揚のない言葉に、薄っすらと浮かんでいたアランの笑みが消える。 また暫らく沈黙が流れて、アランが絞り出すように声を漏らした。 「え?」 アランが躊躇いながら一歩、俺に近づく。 「ロ…―――」 俺は腰の刀を引き抜き、近づいたアランの首元にその切っ先を向けた。 「お前を殺せとの命令だ。」 首に触れるか否かの切っ先が、ギラギラと光っている。刀の先に色を失ったアランの瞳が映り込んでいる。 「何…言って…。」 戸惑うアランを見つめたまま、何も答えない。 「ロイ?」 再度縋る様に問うてきたアランの言葉にも耳を貸さず、ただ彼に向けた刀の先にある、青白い喉だけを見つめていた。 「…。」 沈黙の後、躊躇いの色がアランの表情からすっと消える。 真っ直ぐに俺を見つめてきた目は、まるで初めてあった日のような無垢で真摯なそれだった。 「いいよ。」 アランが言う。 「殺していいよ。」 諦めた様にも、何かを見透かしているようにも見える表情。 「言われなくともそうする。」 刀の切っ先をアランの首からその横をすり抜け、アランの白い肩に添える。 これで終わりだ。 そう考えながらアランの目を見る。その目は、ランネルに手渡された写真のような、心のない瞳をしていた。 火が消えたように、ただ俺を見つめ返す。 「お前…。」 「ロイ。」 アランに俺の言葉が遮られる。 「何だ。」 しっかりと視線が絡むと、アランの瞳は一瞬色を取り戻し、 「その…。」 と一度言い淀んでから、刀を突き付けられた喉から続きの言葉が紡がれる。 「俺が……俺の…満足だった?」 どくんと鳴ったのは俺の胸だった。アランは無垢な目でこちらを見たまま、目を逸らそうとはしない。 俺は刀を握った手に力を篭めた。 「…ああ。」 それだけは認める。けれど、それだけだ。 アランはそっか、と言って笑うと、そっと瞼を閉じた。 「俺も。」 薄く笑った唇は、あの日初めてアランの肌に躊躇いながら触れた時と何も変わらなかった。 「俺も、ロイでよかった。」 そう言って閉じられたままの目尻から、一粒涙が流れ落ちる。 一瞬、頭の隅に何度も夢に見た光景が広がった。 『ロイ。』 ――――何故 『さよなら。』 ――――今、あの女が…? アランの言葉が蘇る。 『愛してる。』 この男を、手放したくない。 「…っ!」 気付けば、俺は投げ捨てた刀の傍らで、アランを抱きしめていた。 「ロイ…?」 アランが消え入りそうな声で呟く。 「アラン。」 答えるように名を呼ぶと、シーツの上に力なく垂れさがっていたアランの腕が、俺の背に回り、その掌でシャツを掴む。 抱いた身体を自分に引き寄せる。 小刻みに震える身体に、自分はこの男を守りたかったはずだったと思い起こす。 「すまない。」 斬れる訳がなかった。刀の切っ先を向けながら、そう思わない訳ではなかった 「ロイ。」 それは果てしない独占欲と、ほんの僅かな愛。 「ロイ…、ロイ。」 アランが俺の名を呼ぶたびに、俺の肩口を濡らすアランの涙と同じだけ、俺の目頭も熱くなった。 「抱いて。」 呟かれた言葉に、自分への愛を聞いた。この男の与える無垢な想いに、人の愛を感じていたのは誰だったか。 ただ、手放したくない。たとえそれが禁忌でも、この男の為に背負うカルマなら、その跡をこの身体に刻みつけたっていい。 「はっ…ロ、ロイっ!」 シーツが大きく波打って、終いには床にずり落ちる。口が離せと呟きながら空を切る。 俺はアランの上に被さりながら、もがくように肩を押しのける手を払って無我夢中で身体を重ねた。 もう離せと言うアランの抵抗を振り払っているうちに、次第に弱まったアランの手の動きがぱたりと止んだかと思うと、アランが びくりと身体を震わせて果てた。追うように果てた俺は、自分も半分朦朧としながら隣に並ぶ身体を腕に抱きしめた。 「アラン、もっと…こっちへ来い。」 決して重なることのない身体が変にもどかしい。俺は既にぴったりと腕の中に収まっているアランをさらに強く抱きしめる。 「苦しいよ、ロイ。」 アランが俺の胸板に顔を埋めながら、小さい声でそう言う。 緩慢な動きで身体を捩るアランを抑え込んで、俺は両の手で腰を強く引き寄せた。 「ロイ。」 そうアランが呼ぶ度に、抱きしめる腕に力を籠める。 身体ごと呑みこんでしまうかのように抱きしめ、胸板に押しつけているアランの口元に耳を寄せた。 「ロイ。」 響く声はいつもよりもさらに甘く、酷く官能的に耳に届く。心地よい時間だけが静かに流れた。自分の名を呼ぶアランの口元が はたと止まり、一時の沈黙が流れる。しばらくして、ごそごそと身を捩ったアランが俺の顔を見上げて笑う。優しく細められた 瞳に、ふと一抹の不安が過る。開きかけたアランの口が、この後何を吐き出すのか予想して、一瞬、聞いてはいけないと、 俺の中で何かが警告した。 「愛してる。」 視線を絡めたまま、次の言葉が出て来ない。一瞬、不安そうに眉を下げるアランを見て、 「…あぁ。」 と誤魔化すように髪を梳く。女にしてやるように甘やかすと、アランは心地よさそうに目を瞑った。 静寂の中で考えていた。 手放したくない。 だが、束縛に似たこの感情は、アランの求める愛なのか。  


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