創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

―――――五年前 「…まだ着かないの?」 「文句言うならさっきの街にいろ。」 街々を抜けると、舗装のない道や足の高い草が生い茂る森を抜けなければならないことが多い。 夜の月が世を一周して、また同じ位置へ上昇っても、都として機能し続けている街へ辿りつけることは早々なかった。 「…腹減った。」 「さっき食っただろうが。」 「落ちてた木の実をね。」 「…。」 世が世だけに、ある程度の距離を歩けば行き着くことのできる街々も、人の荒廃と共に廃れ、廃墟と化している場所が多い。 人どころか建物の形さえも留めていない瓦礫の街を二、三抜けると、唯々、光も届かない程緑の生い茂った森が続く。 「どの街も潰れちゃってたね。」 「あぁ。」 先刻から歩を進める道は湿った草の上ばかり。茂った草木は鬱蒼としており、昼間であっても酷く暗い。 「もう碌に何も食べてないね。」 「あぁ。」 口をついて出る会話さえもそんな話ばかりで、いつも切り出すのは俺からだ。 「次の街が駄目だったらさ、」 そこまで言うと、前を歩いていたロイが急に後ろを振り返り、皺の寄った額と眉を吊り上げながら声を荒げる。 「ったく、うっせぇな!ちょっと黙ってろ。」 俺も負けずと言い淀んだ言葉を続けようとして口を開く。 「でも!」 「黙らねぇと叩っ斬るぞ!」 「…。」 俺は仕方なく押し留まる。 「ったく…。」 それを見たロイは小さく嘆息すると、また先刻と何も変わらぬ様子で俺の前を行く。同じようなため息を吐いて、 俺も大人しくその後に続いた。 ロイの機嫌は、ここ数日頗る悪い。俺たちの街、デュノムを出てから、一度も街と言える様な街に出会っていない。 碌に食べる物も飲む物もないまま、もう一月以上、野外か偶然見つけたボロ小屋での寝泊まりを繰り返し、朝が来ればまた歩く。 宛てのない旅であるのに、ロイは迷いなく自分の思う方向へ進んでいるように見える。それ故に、疲労も相当なのだろう。 ここ数日は機嫌が悪いだけでなく、口数も減り、目付きさえ鋭くなっているように思う。 まるで、獣のように。 「ロイ、少し休んだ方が…。」 そう言いかけても、ロイはこちらを振り返りもせず、ただ静かな声で 「次の街は規模も大きいと、さっきすれ違った農夫に聞いただろう。このまま歩けば今日の晩には着く。」 そう言って、ただ行く先の地平線ばかりを眺めている。彼の腰元に下がっている月夜に照らされた黒刀だけが、 時折光を反射させては騒ぐように揺れていた。 「…街だ。」 しばらくロイの背中ばかりを眺めて歩いていたが、急にその向こうに広がった仄かな灯りの様子に、俺は小さく声を漏らした。 森の生い茂った木々の向こうに、確かにそれはある。「あぁ。」と呟くロイも、少し足早に灯りの灯っている方へと歩を急ぐので、 俺は安堵の笑みを浮かべたままその後を小走りについて行った。 森を抜けて、聳えている大きな石壁の坂を超えると、小さいが、よく栄えている街だと一目で分かるほど、 夜更けにも関わらず多くの人が街の明かりの下を行き交っている。 どうやら街を入ってすぐがちょっとした繁華街になっているようだ。 「まずは何か食べようよ。」 もうほとんどないに等しいが、安い店で二人が一食する分くらいの金はまだ持ち合わせている。 宿を見つけることも視野にはあったが、何分碌に食べていない身体が街の飲食店から漂う美味そうな匂いによく反応した。 俺はロイを追い抜かすようにして先へ行こうと小走りに歩を進める。しかし、ロイは口を噤んだまま俺の腕を引き止めた。 「何?」 振り返ると、すっかり浮かれている自分に反して、未だ眼光鋭いロイの顔がそこにある。 「飯は後だ。宿を探す。」 それだけ言うと、ぐいっと力任せに引かれた腕を掴まれたまま、ロイはぐんぐんと繁華街を抜けて宿街のありそうな路地の方へと 歩を進める。 「え、ちょ…。」 戸惑う俺の言葉に聞く耳も持たない。俺は遠ざかる温かい匂いに後ろ髪を引かれながらも、渋々その灯りの下を後にした。 「ここでいい。」 そう言ってロイが入って行ったのはやはり連れ込み宿で、「久しぶり。」なんて馬鹿な独り言を呟きながら、 懐の淋しい自分達の現状を思い直して、抵抗せずにロイの後に続いた。 「はあー。」 部屋に入るなり、ぐっと背を伸ばして奥のベッドに倒れ込む。 どこも同じようにきな臭いその部屋さえ、一か月ぶりともなれば以前見ていたそこらの格の高い宿のように豪勢に見えた。 「久しぶりのベッドだ…。」 刀を下ろすロイの横で、俺はシーツに顔を埋めた。 土の上とは違う柔らかいその感触に、すっかり安堵しきっていた俺は、黙ったままのロイに構わず、 はしゃぐ様に手足をばたつかせた。 「気持ちいいー………って、え?」 ふと足元から大きく軋んだベッドのスプリングに顔を上げ、自分の足元を振り返る。 すると、いつの間に近づいたのか、ロイが既に上半身裸体の姿でベッドの上に乗り上げていた。 「脱げ。」 「は?」 素っ頓狂な声の俺に構わず、ロイはベッドの上ではしゃいで乱れた俺のシャツを乱暴に引っ張り、引っぺがす様にして剥ぎ取る。 「脱げ。」 「え、いや…ちょ…!」 必死で抵抗する俺の腕を、意図も簡単に交わし、ロイは圧し掛かる様に俺の上に被さって来る。 「限界なんだよ、手間かけさせんな。」 「いやいや、そうじゃなくてさ。ちょっと、ロイ!」 少し声を荒げて奮発すると、ロイはぐっと俺の肩をシーツに押さえつけて、怒鳴るように一言言った。 「いいから脱げ!」 俺は、乱れたシーツの上に横たわっていた。気がつけば、だ。意識は先刻までどこかに飛んでいた。 「死ね、馬鹿。」 隣で何処からくすねて来たのか、上等な酒の瓶を片手に足を投げ出しているロイを睨みつける。 無論、俺はぐったりと横たわったままの姿では迫力も何もあったものではないのだが。 「死ねとは何だ。随分口の悪い輩になったな。」 そう言って、ロイは俺の頭を酒瓶の底で押さえつける。拷問だ。 「…腰が痛い。」 さらにそう呟くと、ロイはしれっと悪びれのない顔で言った。 「当たり前だ。ずっと野宿だったんだからな。」 「そうじゃなくて!」 ロイの顔を睨み続けていると、視線に耐えられなくなったのか、ロイが苦虫を噛み潰した様な顔で再度こちらを見下ろした。 「…宿がなきゃ出来ねぇだろうが。野宿じゃ余計な体力使えねぇ。」 気を使ったんだ、とでも言いたげだったが、そうはいかない。気が飛ぶほど相手をさせられては、男娼として立つ瀬がないという ものだ。俺はロイの手から酒瓶を取り、一口乾いた喉を潤す程度に口に含むと、ごくりと喉が上手そうに音を立てる。 やはり上等の酒だった。 「もしかしてさ。」 「何だよ。」 「機嫌悪かったのって…。」 欲求不満だっただけ、と聞こうとして、口を噤む。 「何だよ。」 ロイは訝しげにこちらを見下ろしている。 「いや…いいよ、もう。」 そうに決まっている。無駄に気を使った自分が馬鹿だった。そう思って目を閉じると、まだごつんと酒瓶の底が頭に振って来る。 「何だよ。」 痛い、と訴える俺の言葉を無視して、再度振って来るそれを手で振り払いながら言い返した。 「何でもないよ!」 馬鹿野郎と言ってやりたい衝動を抑え、ロイに背を向けて目を閉じる。自分ばかり気を使って、滑稽にも程がある。 この男が自分に気を回す程繊細な男じゃない事は分かっていたのに。全くの気遣い損だ。 「おい。」 俺が無視して目を閉じたままでいると、再度同じように呼びかけられたので、今度は目を閉じたまま 「…何。」 と愛想のない返事を返す。 「シーツ掛けねぇと風邪ひくぞ。」 「…。」 気を使わないなら使わないで、変に優しくするな。 そう心の中で悪態を吐きながら、腰元まで引き上げられたシーツを片手で自分の肩まで引っ張り上げると、 「お前、分かりやすいな。」 と笑みを含んだ声に、思わず下唇を噛んだ。 「馬鹿野郎。」


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