創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
宿に帰って真新しいシーツに寝転がると、眠気ばかりが襲って何もいい案は浮かばない。
「…どうするかな。」
放っておけばいいものを、と自分でも思わない訳ではない。あの顔を見ていると、あの薬の名を思い出すと、
蘇るのは辛い記憶ばかりだ。
あの蒼い目も、赤毛も、痛いほどよく知っている。
「空いたぞ。」
ロイがシャワー室から出てくる。俺は軽く返事をしてシャツを脱ぐと、酒の瓶を探すロイの後ろを横切って、
湯気の漏れるシャワー室へと向かう。
ふと、ロイが酒を選んでいる木箱の上に、数枚の札が置いてあるのが目に入る。
「これは?」
俺が言うと、ロイは選んだ酒を二本手に持って、ちらりとそれを見てからソファへ向かう。
「今日狩ったのを金に換えて来た。好きに使え。」
ぶっきら棒にそう言って、意識は既に手の中の酒だ。
「そんな…。ロイばっかり働かせてさ、何か悪いよ。」
ロイ程の男らしさはなくとも、自分だって男だ。例え身体を売っていようと、自分の金は自分で稼げる。
「何か、申し訳ないし…。」
呟くと、ソファにかけたロイはにやりと笑って
「らしくないな。」
と言う。自分はロイに身請けされている訳ではない。養われたまま何もしないのは気にいらなかった。
「やっぱり俺も出るよ。」
一晩寝れば、悠に札が財布に収まるだろう。
「止めておけ。」
ロイがこちらを見つめる。
「何で…?」
唯、そう聞くしかない。湧き上がるのは違和感ばかり。
「…何でもだ。」
「だから、何で!」
つい声を荒げると、ロイがすっと目線を外す。
「変だよ、ロイ。」
口に出さずとも思っていた。デュノムの街を出てから、俺の売りとしての仕事を拒むのはロイの方だった。
俺はほとんど宿に籠ったまま、少なくとも日が落ちてから表に出たことはほとんどない。ロイが一晩帰って来ない日などは、
一人宿のシーツに包まりながら思っていた。
人を斬っているのか、それとも女を抱いているのか、と。
「まだ売りをやる必要があるのか。」
ロイが宙の一点を見つめて言う。
「え?」
「忘れたのか。デュノムで殺されかけたこと。」
「…。」
デュノムを出る、少し前のことだった。薬で蝕まれた身体に撫でまわされた嫌な晩を思い出す。
けれど、あれがなければ、今俺はロイと共にここにいなかったかもしれない。
「まだやる必要があるのか。」
ロイがまたこちらを見る。向こう側を見抜く様な真っ直ぐとした視線に、今度は俺が顔を背けた。
「…俺には売りしかないんだよ。」
ロイの刀のように、自分はずっと身体を売って生きて来た。他の術など知るはずもない。
「傍に居ればいい。」
顔を上げると、こちらを見ているロイと目が合った。
「お前は俺の傍にいればいい。稼ぐなら別の方法がいくらでもある。」
「ロイ…。」
「俺以外の男に抱かれるな。」
真摯に向けられる目に引き寄せられるようにして、ロイに向かって腕を伸ばすと、同じく伸びてきた指に絡めとられる。
首を抱え込まれてされる口づけは苦しくて、重ねた唇の傍を、流れた涙が横切った。
次の朝、まだロイが眠っているうちから俺は宿を出た。俺が出て行くのをロイは知っていただろうが、何も言わなかった。
「俺をこの店で雇ってくれない?」
真っ直ぐとノアの店に向かい、店の外で薪を運びながら、まだ店の準備をしている最中の彼女にそう声をかけた。
「はい?」
俺の突拍子もない願い出に、ノアは案の定目を丸くして驚いた。
「暫くこの街にいることになったから、金の繋ぎが必要なんだ。治安のいい街だし、商業は他所者の入る隙なく栄えてるしね。」
まだ困惑顔のノアが抱える薪を自分の腕に抱え直す。
「駄目かな…?」
そう言うと、ノアは小さな声ですみません、と言う。
「手伝って頂けるのは助かりますけど、雇い賃を出せる程うちの店は繁盛していませんので…。」
「払いは気にしなくていいよ。ちゃんと食っていく分はロイが稼いでくれるから。」
それなら何故、とノアが考える前にノアの耳元にそっと呟く。
「君の力になりたいんだ。」
甘い言葉は、俺の十八番だ。
「…分かりました。」
目を泳がせながら、お願いします、と頭を下げたノアに、俺はそっと微笑んだ。
「何故。」
ロイの一言目はそれのみだった。眉間に皺を寄せて、あからさまに俺の言動を訝しんでいる。
「う-ん…まあ、いろいろあってさ。」
言葉を濁すと、暫し黙っていたロイがぽつりと零す。
「惚れたか?」
と。酒の瓶を手の内で器用に回しながら、ちらりとこちらに視線を送られる。俺はロイの言葉に驚いて
「は…違うよっ!」
と慌てて反論した。
「あの子、やばいことに首突っ込んでるみたいなんだ。」
「どう言うことだ。」
「え、あ…それは…。」
うっかり口にしてしまったが、詳しい事情を言ってもいいものだろうか。売人の薬を持っていた、と。
いや、言えない。
「まだよく分からないから調べるんだよ。」
そう言ってぎこちなく笑うと、ロイは暫く考えた後、さも興味がないと言うように
「お節介な野郎だな。」
と呟き、酒を煽る。顔には出さなくとも、いつもより酒を煽るペースが速い。
「…心配じゃないのかよ。」
そう聞く。つきんと胸が痛んだ気がして、ぐっとシャツの上から胸元を握る。
「…別に。」
ロイはただ不機嫌そうに低い声で返してくるだけだ。
「とにかく売りの仕事じゃないんだからいいだろ!」
「…好きにしろ。」
そう言うロイの表情は複雑だった。
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