創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
俺は渋い顔をするロイを知らぬふりして、毎日ノアの店に通った。
ただ雑用をこなすだけでなく、少ない客に出す料理を手伝ったり、一日の大半をノアと過ごした。
ロイは相変わらず賞金のかかった人間を何処かから探し出しては金を作っていたが、ジゼルというこの街はやはりロイが動き回る
には不都合な町だった。
人は気がよく、街は豊かで、ロイはいつも仏頂面で部屋に籠り、酒を煽っていた。
「そろそろ、話してくれない?」
そう切り出したのは、仕事を終え、食糧庫を片すノアと珍しく遅くまで店に残っていた日のことだった。
「…あの薬のこと?」
ノアは一瞬躊躇ったが、今まで一度もその話題に触れて来なかったことを、そのノア自身も頭の隅で思っていたのだろう。
思ったよりも、すんなりと口を開いた。
「ねぇ、アラン。知ってる?」
「何を?」
「この街は…。」
ノアは野菜くずを丁寧により分けながら、テーブルを拭く俺に、言葉を躊躇う。
「…この街は、腐り始めてる。」
「え?」
俺は手を止めて、カウンターの向こうのノアを見た。ノアも手を止め、こちらを見ると、一瞬にこりと微笑んだ。
「アランが旅の人なら知ってるでしょう?この街に辿りつくまでに崩れて人の寄り付かなくなった街があったのを。」
「あ、ああ。」
「この辺りの街は皆、順に国に買われてるの。」
「国に?」
訝しむ俺を見て、ノアは固く引き結んだ口を開く。見たことのない、険しい表情だった。
「…戦争よ。」
低い声で、そう言う。
「国同士の領域争いの戦争の為に、人も街の資源も皆国に奪われる。そうするとね、街はだんだん貧しくなる。」
ノアはカウンターの手吹きで濡れた手を拭い、こちらに回って来る。
「人は薬や売りで裏の道から生計を立てることを求め、街も人も荒んでいく。
そうなるように仕向けられた、血の流れない戦争なの。」
「血の流れない戦争…。」
「長閑で温かな街は、もうすぐ終わるわ。」
ノアはゆっくりと俺が片づけていたテーブルの椅子に腰かけたのを見て、俺もその向かいに腰を下ろす。
「この店は、確かに両親がやっていたものよ。鍛冶屋をやりながらね。」
ノアはテーブルの上で組んだ手を見つめながら言う。毎日水仕事をこなしている白く綺麗な肌をしている。
「でも、ただの鍛冶屋じゃなかった。」
「武器鍛冶…。」
俺の言葉に、ノアは小さく頷く。
「刀を…作ってた。 だから、徴収にあったわ。
いざ正面衝突になった時の国力を蓄える為に、国専属で刀を作るように辞令が出たの。」
ノアがほんの少し眉根を寄せる。
「でも、父はそれを断った。」
「何故?」
「私の父は、北の国の生まれなの。今、この国が戦いを仕掛けているのは、ここからずっと北の国。」
ノアは顔を上げて、俺に問いかける。
「アランの街は、私みたいな女がたくさん居たんじゃない?」
ノアの「私みたいな」と言う言葉に、もしそうならと考えると、確かにそうだったと思う。
売られて行く女と自ら自分を売る女は腐るほどいた。
「荒れてはいたけど…。」
あからさまにそうだと言うのも躊躇われ、そう言葉を濁すと、ノアは目を細めて、再度口元を固く結んだ。
「滅びた国は形すら残らないよ消されて行く。今頃、アランの街は火の車よ。」
「…!」
驚いて目を見開くものの、言葉が出て来なかった。
冗談だろうと言い返そうとしたが、ノアの目が真っ直ぐにこちらを見返してくるので、何も言い返すことが出来なかった。
ノアは俺の反応を予想していたかのように落ち着いた様で話を続ける。
「国の戦争の裏には、手を引いている者がいるわ。」
ノアの言葉に顔を上げる。
「その男は、裏の道に通じてる。だから、私はその手の情報を手に入れる必要があった。」
敵討ちの為に、と言うノアのは俯いていて、その表情はよく見えなかった。しかし、その真実を話す様子が苦し気に見え、
俺はただ静かにノアの言葉の続きを待った。
「だからあの薬を持っていても不思議はないでしょう?客の男から貰ったの。使ったことは…まだないわ。」
「そうだったんだ。」
「アランは、分かってくれるでしょ?」
ノアが顔を上げ、こちらをじっと見つめる。先刻と目の色が違うことに気づく。
「私の気持ち、分かってくれるはずよ?同じ種の人間として。」
「え?」
「あなた、売りをやっていたでしょう?」
その言葉に、俺は今度こそ喉を鳴らして息を呑んだ。ノアは俺を見て少し笑う。
「…同業者ではなくても、同じ経験をしている人間の雰囲気は分かる。あなたのように。」
「気付いてたのか。」
「えぇ。」
「だから、あなたなら分かってくれると思った。私のこと。」
そう言って、ノアはテーブルの上で組んでいる俺の手に自分の手を重ねる。見つめ返した目を、俺はよく知っていた。
媚びる為に身につけた自分の眼差しに、とてもよく似ていたから。
「好きで身体を売るような人には見えないもの。」
「…。」
手を引こうと力を籠めるが、重なったノアの手がそれを許さない。
「ねぇ。どうしたら、私の傍に居てくれる?」
「え…?」
「惚れさせたのはあなたでしょう?」
そう言う彼女の瞳は、蒼い澄んだその中で、俺の嘘を咎めていた。全て見抜いていたのだ。俺が何のために近づいたのかも。
「全てを知った今でも、どうしたらあたしの傍に居てくれる?」
「…ノア。」
縋る様な目に、思わず視線を外すと、視界の端で傷ついたように肩を揺らすノアが映った。
「あなたの為に死んだら、」
「ノア?」
彼女の目は、俺のよく知る人の目に似ている。けれど、その目よりももっと熱く滾った激情を、その奥に宿していた。
「あたしが本当にあなたのこと愛してるって信じてくれる?」
「なっ…!」
がたんと席を立つと、ノアが続いてゆっくりと腰を上げる。
テーブルを回って俺のシャツを掴んだノアは、すり寄る様に俺の腰に手を回す。
「ねぇ、アラン。」
「止せ…。」
ノアの好意に抗って後ずさるが、舐める様な視線は止むことが無い。
「お願い。あなたがいなくちゃ生きていけない。傍に居てよ。」
離せと思うのに、縋りつくような仕草に、無下にその腕を振りほどくことが出来ない。
「もう、一人になりたくないの。」
同じだった。あの頃の自分に。動けないまま、ノアの顔が俺の顔に引き寄せられた時、
「おい。」
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