創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

背にした扉から聞こえる声で、俺は勢いよくそちらをふり返る。よく知る人影がそこに険しい顔を浮かべて立っていた。 「アランを離せ。」 低く吐き出された声に俺は肩を震わせた。ノアが睨むような目でロイを見つめ、ふっと鼻で笑った後、 予想していたと言うように口を開いた。 「入って来るのが遅いんじゃない?ずっと店の外で様子を窺っていたでしょう。」 「知っていてその態度か。随分と余裕だな。」 その言葉にロイとノアを見比べる。ロイは静かに腰から刀を引き抜き、足元で一振りして目の前に構える。 「ロイ…!」 止めに入ろうとロイの方に身を乗り出すと、すっと片手でそれを制される。 「お前は黙ってろ。その女、唯の女じゃねぇ。」 「…随分な言い方ね。アランは心配しなくていいわ。」 俺には見向きもせず、ロイはノアと睨みあう。 「その刀であたしを斬るつもり?」 「…。」 「その刀で。」 ノアが然も可笑しいと言うように語尾を強めると、ロイの眉がぴくりと動く。 「…どういう意味だ。」 ノアは不敵な笑みを浮かべて言う。 「それ、あたしの父の刀よ。」 「何…?」 ロイが振りかざした刀を凝視する。俺は何のことだか分からず、唯同じようにロイの掲げる刀を見つめた。 「父が最初に持っていた刀。直接目にするのは初めてだけど…。」 ノアはロイの刀に手を伸ばす。俺でも不用意に触ることは許されないそれに伸びる手を、今ばかりはロイも咎めなかった。 ノアの指が、そっとロイの刀の鞘を撫でる。 「初めて見た時に思ったの。間違いないって。でも、やっぱりそうだった。この黒塗りは私の父が随分と昔に持っていなものよ。 北の国に出掛けていた父が、ここに帰って来た時に一度だけそれを持っていたのを目にしたことがあるもの。 数年前からぱったり見なくなったけれど、間違いないわ。」 「でも、ロイ。その刀はお父さんのだって…。」 口を挟むと、ロイは刀を見つめたまま言った。 「あぁ。だが、俺の手に渡るまで、この刀は別の男が持っていた。」 俺はふと、以前デュノムの街を出る前に聴かされた話を思い出す。 「ノア。」 ロイは刀の鞘を見つめながら言う。 「お前の父親の名は。」 そこまで言って口を噤むと、ノアが続ける。 「ヴィル・フィリタヴィリエ」 「ヴィル…。」 ロイはその名を何度も反芻している。そして、刀をもう一度高く掲げて、 「お前の父親は俺の親父の仇を討ってくれた。」 その表裏に窓から差し込む日の光を当てる。 「そして、俺の探している男だ。」 綺麗にそろった波紋が光を跳ね返して怪しく光る。まるで妖刀か奇刀のようだった 「もう一度逢うと約束した。父親は何処にいる。」 その言葉に、俺は咄嗟に口を挟んだ。 「ロイ、ノアの両親は―――」 「死んだわ。」 ノアの言葉がしんと静まった店に響く。 「何…?」 「亡くなったの。戦争への荷担を拒否してね。 殺される場面を見たのは父を庇った母の時だけだったけど、父は三年前に国の兵士に連行されたまま帰って来なかった。」 ノアは向けられた刀の切っ先に少しも動じることなく、ロイに背を向けて先刻まで座っていた椅子に座り直した。 「アランには話したけれど、父は刀専門の武器刀鍛冶だったの。昔は剣士…いえ、人斬りだったけどね。あなたと同じ。」 「知っていたのか。」 「アランと同じこと言うのね。」 驚くロイにノアは声を上げて笑う。 「私がアランを売男だって見抜いた時も、同じことを言われたわ。まあ、同業者の勘って奴だけどね。」 「同業者?」 「ノア…!」 俺は思わずノアの肩を掴む。俺の行動に少し驚いていたノアも、すぐに合点がいったというように口の端でにやりと笑うと、 ロイに向かって目を細めた。 「…あら。その様子だと、私に似ているって言うその少女も売春婦だったのかしら?」 かっと目を見開いたロイが、座っているノアの胸倉を掴んで引き上げる。 ノアに手を出すとは思っていなかったが、ノアの一言に激情した様子でその身体を椅子から引き剥がした。 「エマは売女じゃねぇ!」 ロイの形相に、ノアが一瞬怯む。それでも弱みを見せまいと胸元の腕を解いて、 「…どちらにしても」 と見据えたような目でこちらを見た。 「あたしは、あなたの知っている女性とは違う。」 「当たり前だ。あいつはお前のような瞳はしない。」 直ぐにそう言ったロイから憤りが空気となって放たれる。 「一緒にするな。」 ノアは暫しロイと睨みあい、ふっと息を吐くと俺を一度見てから、含み笑いを浮かべて呟く。 「あたしに、アランを頂戴?」 「な…!」 「彼が必要なの。」 ロイはさらに眉を顰め、ノアを睨み続ける。 「お願い。」 「ノア、俺は…。」 この場をなんとか収めようと、またやんわりと口を挟むが、その言葉をロイが遮る。 「アランもお前とは違う。」 「…それは、アランを渡してもらえないってことかしら?」 ノアの瞳が険しく光る。 「そうだ。」 はっきりと言い切ったロイに、俺はまた胸の奥が痛むのを感じたが、同時にそのロイに対峙したノアを見遣った。 俯いた顔は色がなく、引き結ばれた口元に力が籠って歪んでいる。ノアは一歩前に踏み出すと、俺とロイの傍を横切って、 店の扉の前まで歩いて行く。 それをじっと見ていた俺達に静かに顔を向けると。 「そう…じゃあ、力尽くで貰い受けるわ。」 そう言って、壁にかかった小刀をさっと引き抜き、ロイに向かって走りかかる。 俺が制しの言葉を吐く前に、ノアの手の中の小さな刃と、ロイの長い刀の刃が噛みあう。キンと高い音が扉を抜けて森に響いた。 「私、売女だって言っても、人斬りの子よ?刀を握ったことがないとでも思った?」 想像以上の力で押し返してくる小刀に、ロイが息を呑む。 「くっ…。」 「女だからって甘く見ないで。」 「止めろ、ノア!」 「止めないわ。」 俺の叫びを制してノアがこちらを睨む。視線が絡むとすぐに目を細める様子は、いつものノアと変わりない。 「あなたが欲しいの。」 そう呟く声は苦しそうで、俺は何も言えなくなった。きりきりと、刀のすれる音だけが響く。 沈黙を破って、ロイが口を開いた。 「…刀を交えてよそ見をするな。」 その瞬間、振り払われた刀と同時に、ノアが後ろに倒れ込む。 「きゃっ!」 「ロイ!」 俺はノアに向かって刀を振り下ろそうとするロイに向かって叫ぶ。 しかし、俺の声と同時に呟かれたノアの言葉に、ロイが刀を宙で止める。 「斬れないわよ。」 ノアが可笑しそうに笑う。 「私は似てるんでしょう?その『エマ』と言う人に。」 「…っ。」 「人斬りが心を乱すなんて、甘いわね。心得なかったのかしら。」 その言葉に、ロイが再度刀を振り上げる。俺が間に割り込もうと走り出すと、すっとノアのすぐ脇に振りおろされた。 刀の先が、店の床に刺さりこむ。 「去れ。」 ロイが言う。 「お前の父親には借りがある。命だけは…助けてやる。」 「同情なんていらないわ。」 「同情なんかしてねぇ。二度と、アランには近付くな。」 ロイは床から刀を引き抜き、腰元の鞘に戻した。 ロイは床から自分を見上げるノアを一睨みした後、静かに踵を返して扉の方へと歩いて行く。 「行くぞ、アラン。」 「ロ、ロイ…。」 振り返ったロイと倒れたノアを見比べて一瞬躊躇したものの、ロイの射る様な視線に頷くしかなかった。 俺は店を出ても、ロイの後をついて行きながらも何度ものあの店をふり返った。 空に厚い雲がかかっている。もうすぐ、雨になる。


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