創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

ゆっくりと通路を進みながら、俺は瞬きの一つもしていなかったかもしれない。 先刻、写真の男が顔を覗かせた部屋の扉をじっと見据え、刀を握ったままその扉の前に立った。ぞくりと背を走る感覚。 やはり先刻の男が探していた人物のようだ。人を殺めたことのある人間の気配。自分と同じ気配がその部屋から感じ取れる。 「久々に上手い飯が食えそうだ。」 見つけてしまえば後はどうなろうと知ったことじゃない。忍ばせていた足を振りあげ、部屋の扉を勢いよく蹴破った。 「待て。」 部屋に押し入って早々かかった声に、俺は部屋に踏み入った足を静かにその場に下ろした。 「誰に頼まれた。」 勢いよく蹴破った扉の一歩先で、刀を抜く暇もなく、俺のこめかみには鉛の銃口が向けられている。 「察しがいいな。どうしてわかった?」 頭に銃を突き付けられたまま、くつと鼻で笑ってみせる。男も片手をガウンのポケットに突っ込んだまま穏やかに言う。 「臭いだよ。」 お前と同じだ、と。俺はその言葉にそうか、と呟く。 「俺のことは?」 「知っている。最近裏で金欲しさに動いている人斬りだろう。」 男は未だ銃口を俺の頭に当てたままぴくりとも動かない。横目でその表情を伺うと、体格のいい身体とこちらを見据えた瞳が目に 入る。写真よりも随分と歳を取っている。初老に近い風貌にも関わらず、強い気迫を感じるのは、どうやら久々に手応えのある 人物らしいからだ。横目で男と視線を合わせながら続ける。 「俺も知ってるぜ、お前のこと。」 男はふんと鼻で笑った。 「当たり前だろう。顔さえ知りもしない奴を殺しには来れんからな。」 俺は視線を男から外し、真っ直ぐ部屋の突き当たりを眺める。数メートル向こうの窓ガラスに映る自分と男の姿を見て、 未だ握ったままの刀の柄にさらに力を込めた。 「それだけじゃないぜ?」 そう言うが早いか否か、ガラスに映った俺は身体を銃口から摺り抜くと同時に鞘から抜き取った刀で男の腕を切り落としていた。 「ああーっ!」 断末魔のような叫び声と共に男は床に崩れる。俺の頬を、咄嗟に放たれた弾が掠って血が滲む。 「俺の血を無下にしやがったのはテメェが久方ぶりだ。」 俺は男の顔面を蹴りあげて、床に転がった男の肩に刀の刃を添える。 「お前のこと知ってるぜ。」 刀の刃が男の肩に食い込むと、転がったまま男が呻く。 「お前の死に時も俺しか知らねぇんだよ。」 言うと同時に振り切った刀が、男の身体から飛び散った鮮血を浴びて、ずしりと腕に響く。 事切れた身体からは止め処なく赤い血が流れた。銃の腕はよさそうだが、詰めが甘いな。窓ガラスに映った男の脇下はガラ空き だった。あれでは多少腕のある相手なら簡単にかわせてしまうだろう。 俺は無残な死体を跨いで部屋の奥へと進む。この男がこんなボロ宿に一人で泊まっているとは考えにくい。 そう思って奥の寝室を覗くと、案の定シーツを被った裸の人影がベッドの端で震えていた。 「ひっ…。」 ベッドの上の人物は血まみれの俺の刀を見て悲鳴を上げる。俺は側に落ちているシーツで刀を拭い、鞘に仕舞った。 茶色いサラサラとした髪が視界に入る。ここは連れ込み宿なのだ。大方、先刻の男に買われた売女だろう。 俺は宥めるように言った。 「心配するな。お前を殺すつもりは…―――――」 言葉を止めて、ベッドの上の人物を凝視する。サラサラとした髪は短く肩にも届いていない。 「お前、男か?」 綺麗な顔立ちをしているが、ずり落ちたシーツの隙間から覗く肌や骨付きは柔らかさを持たない男のものだ。 少年と言う程ではないが、かち合った瞳の色も表情も酷く幼い。俺の言葉にその男は一度ゆっくりと頷く。 「素人…じゃねぇな。」 見るからに上物の売男だ。顔立ちがまるで人形のように整っている。男はもう一度頷くと、 「男娼。」 と弱々しく呟いた。 「へぇ…こいつは男を買う趣味があったのか。何処ぞの不味い飯屋の客をまた減らしちまったな。」 壁の向こうに転がっている殺したばかりの男を眺めながら、昼間厭味を言い合ったエリガルを思い出す。 ふと視線を感じて視線を下ると、男がシーツに包まってじっとこちらを見つめている。何だ、と目で訴えると、 「お兄さん。」 俺を見て、その男は控え目に声をあげる。 「あ?」 「俺、この人に身請けしてもらうことになってたんだ。」 と。男の意図が分からず首を傾げるが、暫くして俺は男の言わんとしていることが分かって口を引き結ぶ。 言葉通りなら、身請け先の相手が殺されたばかりだと言うのに、その男からはもう怯えた表情は消えている。 「そりゃあ悪いことをしたな。養い主を殺しちまって。」 殺しはしなくともその後の始末までしてやるつもりは当然ない。 そう言って、俺は元来た方へ踵を返すが、まだ背中にかかる声が引き止めようと足掻く。 「俺、行く所がないんだ。」 「俺には関係ねぇよ。こっちも仕事だからな。男娼なら、また金になる男でも探せ。」 そう言って、面倒が起らないうちにと足早に部屋を出ようとしたところで、 「お兄さん。」 再度かかる声に思わず苛ついて振り返ってしまった。 「何だ…―――――」 そこには、生まれたままの姿で俺の前に立ち、静かに涙を流す綺麗な男がいた。 白い肌は、まるで透けて彼の向こう側を映すかのようだ。 何処か、その瞳に見覚えがあるような気がした。 「おい…?」 驚いて目を見開いた俺を見て、男は一瞬笑うように目を細めた後、ゆっくりと音もなくその場に崩れて動かなくなった。 「お…い…?」 白い肌が、床に崩れたまま惜しみなく曝されている。思わず男に駆け寄る。 「おいっ!」 気付けば、俺は倒れたその男を抱き上げていた。


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