創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

  茶色い髪は亜麻色よりももっと薄く透き通っていて、白い肌も儚いと言えば聞こえはいいが、どちらかと言うと業を背負った自分 の目には酷く頼りなく映った。 「女みてぇだな。」 そう呟きながら、今自分のベッドに横になっている男を見て、ため息と後悔を繰り返す。 何故、連れて帰ってしまったのか。 殺しの現場を見られたからでも、殺した男の叫び声と銃声を聞いた宿の人間が騒ぎ出したからでも、こいつがいきなり目の前で 倒れたからでもない。 何故、泣いていた? 先刻のこの男の泣き顔を思い出すと、酷く胸が騒いでならなかった。そして、あの最後の泣き笑いのような顔。 「くそっ…!」 らしくないことをした。他人に、男に興味などない。それは男娼の上玉であっても同じことだ。 それなら、何故…? 男はよく眠っている。大方、碌に眠らず身体を売っていたのだろう。見た所何処か傷を負っていると言う訳でもなく、ただ静かに 呼吸を繰り返している。俺は窓枠にもたれ掛かりながら男の眠るベッドを眺め、もう何度目かのため息と共に、意味もなく がしがしと頭を掻いた。 「ん…。」 一刻が過ぎ、小さく響いた呻き声に、俺は傾けていたグラスを机に置いた。 「目、覚めたか。」 男が身体を起こそうともがいているベッドの側に歩み寄る。 「あれ…ここ…?」 ぼんやりとした瞳が辺りを見回す。 「俺の部屋だ。部屋って言っても空き家に勝手に居座ってるだけだがな。」 「お兄さん…。」 まだ気だるいのか、上半身だけ起こした彼は覚醒しきっていないという顔で俺を見上げる。身体を売っている人間にしては、 無垢で透き通った濁りのない瞳だと思う。俺はその無垢な視線を避けるように近くに掛けてあった自分の服を男に放る。 ここまで裸の彼を自分の上着と宿のシーツに包んで連れて来たのだから、仕方がない。 金も入るし、服の一着くらいくれてやる。 「突然倒れたから連れて来ただけだ。目ぇ覚ましたんなら、さっさと出ていけ。」 落ち着き払った声でそう言うと、男は俺の上着を手元に抱えたまま言った。 「でも、行く所が…。」 「言っておくが、俺が人斬りである限り、お前を殺さなかったのは俺の慈悲だ。 それ以上の情けをかける必要も、お前がそれを俺に求める権利もない。」 直ぐ様、俺は男の続きの言葉を遮る。ぐっと彼に迫って、少し威嚇を交えながら。図々しいにも程があるだろうと暗に意を込めて。 俺の言葉に、男は一瞬怯んだように見えたが、今度は少し控え目に聞き返してきた。 「…男に興味はない?」 買え、と言うことか。男はこちらを見返してくるばかりで何も言わない。 「ああ。」 「俺、そこらの売春婦よりは…――――」 「男に興味はない。」 有無を言わさずそう言うと、男は俯いて自分の頬に長い睫毛の影を落とした。その様はやはり自分よりも幼く見える。 「…そう。」 「分かったら出て行け。」 俺は男の側を離れ、自分の部屋としている小屋の扉を開ける。男はシーツを落としてベッドから立ち上がった。 しかし、俺が手渡した服は身につけず真っ更な肌を曝して、そこに立つ。 「タダでいいって言っても…?」 「あ ?」 俺は男を振り返って思った。これは先刻の宿での光景と同じだ、と。 「殺さないでくれたお礼。男だから抱けないって言うなら口でしてあげるよ。」 強い既視感を感じながら、頭の中で警鐘が鳴る。この男の色香に乗せられるな、と。 俺は邪な感情を振り切る様に、少し凄んで言う。 「ふざけるな。」 「ふざけてないよ。」 直ぐに返ってきた返事は淀みない。自分には男を抱く趣味などない。 まして、男娼だからと言ってこの男を一度受け入れたなら、それは自分の未熟さを肯定することになる。 考えなくとも、先の結末が全て分かっている。 「きっと、離せなくなるよ。」 俺のこと、と囁く声は妖艶で、この男はいつもこうやって他の男を引っ掛けてきたのだ。分かっている。分かっているのに。 「お前、名前は?」 「アラン。お兄さんは?」 「ロイだ。」 男は一瞬屈託なく笑うと、ゆっくりと俺の元へ近づいてくる。俺は肌が触れるほど近くまで歩み寄ってきた男の腕を掴んで言った。 「…やってみろ。」 それは、奴の挑発に乗っただけのような振りをして、肌が触れ合うほど近くでその男が笑うと、 それ以上何も考えられないと頭の何処かで分かっていた。 人を殺した夜は、とにかく身体に熱い血が滾って寝られないことがよくあった。それは何人殺そうと変わらなかった。 だから、なるべく仕事の後は女を買うようにしている。 何日か熱を溜めたまま買った女を抱くと、激情の余り殺してやりたい欲求が湧くからだ。 だから、この晩も熱の放出先を買っただけ。それが女だろうと、男だろうと、目的に違いはない。 俺は自分の股下で揺れる茶色い髪を眺めていた。 「んっ…。」 漏れる声は男のそれなのに、何故か今まで抱いたどの女のものよりも甘く耳に響く。 包容も接吻も、行為自体が相互的でさえもない、その一方的な行為に浸る。 それでも自分の下から聞こえる呻き声に熱を放ったのは、無意識に目の前の茶髪を掴んで、自身に押し付けた直ぐ後だった。 「まいった…。」 今日は後悔の言葉しか口にしていない気がする。 「まいった。」 男娼の上玉だか何だか、男の外見に興味はないが、その道での腕はそこらの香臭い女よりは遥かに上等だった。 気付くと男の苦しげな声にも構わず腰を振っていたことも認める。 俺は真っ暗な部屋の中で身体を起こし、傍のソファで肩までシーツを被る男を眺めた。 まだ真夜中だろうが、カーテンのない小窓から差し込む月の明かりが、男の明るい髪色をさらに眩しく映えさせている。 この男を最後まで抱くことはしなかった。奴の口で一度目に果てた瞬間、男の言葉が俺の頭の中で反芻していた。 『きっと、離せなくなるよ。』 初めは意気がったことを言うと思ったが、満更嘘でもなかったようだ。 ジェフとか言うあの男がこいつを囲いたがるのも、あの快楽を手放せない為であるとしたら、まったく分からない訳でもない。 だから、尚更手を出してはいけなかった。 これ以上、余計なものを背負い込むのはごめんだ。 俺はもう一度耳に届く規則的な呼吸の音にため息を吐いてから、眠る男に背を向けて、自分もベッドに横になった。 アラン、とか言ったな。 そんなことを頭の隅で考えながら目を閉じる。まだ長い夜の途中だった。


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