創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

気付くと宿の前だった。急いで階段を駆け上がり、部屋に飛び込むと、いないと思っていたロイの姿がそこにあった。 刀に綿を当てながら、少し驚いたように飛び込んできた俺を見ている。 「何だ、そんなに慌てて。」 刀の研ぎ道具を片しながらロイが言う。俺は肩で息をしながらベッドの脇に座り込んでいるロイに近付く。 「さっき、街の外れでノアを見かけた。」 「…それがどうした。」 ロイは不機嫌そうに言う。俺は震える手を拳にして下唇を噛んだ。 「エ、エリガルと一緒だった。」 「…何?」 ロイの目の色が変わる。 「エリガルが…この街にいる!」 目を見開いたままのロイに再度そう告げると、心臓が早鐘のように打ち出す。昔の記憶が蘇る。 「どうしよう…どうしよう…!ロイ…!」 捕まったら、殺される。 「アラン、落ち着け!」 ロイが立ち上がって俺の肩を掴む。 「ご、ごめん。」 うろたえる俺に、ロイは落ち着き払った声で言う。 「あいつが何の目的でこの街に居て、何の為にノアと居たのかは分からねぇが、どちらにしてもお前があいつと鉢合うのは不味い。」 ロイは俺の過去を知らない。それでも、俺がエリガルに雇われてたことは知っている。 口には出さずとも、ロイもエリガルが俺を探すためにこの街に来たのではないかと疑っているはずだ。 「明日、俺が様子を見に行くまでお前はここを出るんじゃねぇぞ。」 「でも…。」 「分かったな。」 ロイは研いだばかりの刀を鞘に納めると、諭すようにそう言った。 「…うん。」 何を言おうと、酷い胸騒ぎは抑えようがない。握った拳には、じわりと汗が滲んでいた。 「ノアがエリガルに飼われている可能性は捨て切れないが、恐らくエリガルがこの町へ来たのはお前を探すためだ。 たまたま接触したと考える方がいいかもしれない。」 「でも、ノアはその…。」 「売りをやっていたからと言って、エリガルの商売道具だったとは限らない。」 「…。」 何でもない風を装うロイは、それっきり黙ってしまう。 やはり、ノアが売女だったことが少なからず心の何処かに引っ掛かっているのだろう。 無論、そこに誰を重ねているかは言わずもがなだった。 「お腹…空いてない?何か作るよ。」 場の雰囲気を変えようと、敢えて明るく務める。買ったばかりの食材の袋に手を伸ばすと、その腕をロイが掴んだ。 「お前、料理はあいつに教わったのか?」 一瞬、どう言う意味か分からなかった。ノアのことを言っているのかと思ったが、こちらを見つめるロイの目が違うと言う。 「エリガル?」 「ああ。」 「…まあね。」 俺の腕を取るロイの手をそっと解いて、代わりにその手に買ったばかりの酒の瓶を握らせた。 取り出したパンに買ってきた肉のスライスと数種類の野菜を挟む。 ノアの店で出されたサンドイッチを思い出す。 「寝たのか?あいつと。」 ロイは渡された酒には手をつけず、それを片手にじっとこちらを見つめている。背を向けても、変わらず注がれる視線が痛かった。 「寝たのか?」 俺は自分の分もロイと同じ皿に乗せて振り返る。 「一度だけ…。」 その言葉と同時に、ロイはドンと酒の瓶を床に置いた。 「ロイ…?」 思わず持っていた皿をテーブルに置き直す。だんだんとこちらに迫って来るロイの目は鋭くて、ふと頭上に振りあげられた手に、 俺は無意識に目を瞑った。 「っ…!」 「…二度はねぇぞ。」 その言葉と共に頭にそっと触れるロイの指が、左右に俺の髪を乱して離れて行った。あんまり優しく触れるので、 自然と目の奥が熱くなる。 「ロイ。」 思わず、名を呼んではっとした。 「どうした?」 ロイはまたいつものように酒のコルクを抜いて豪快にそれを傾けている。 「…ううん。何でも。」 そう言って用意した食事をロイに差し出すと、ほんの少し口元を緩めて手を差し出すので、俺は何も言えなくなった。 唯、失うのが怖かった。だから、言えなかった。 ロイが一日街を彷徨って、俺が言われた通り部屋でやきもきしていても、あの日以来、結局エリガルを見かけることはなかった。 俺としては、このまま見つからないように別の街に移ってしまうという手も考えなかった訳ではないが、ノアのことを投げ出して、 まして逃げる形になる方法を、どちらも考えはしても口にはしなかった。 「俺達、エリガルを見つけて…どうするの?」 「あ?何を今更。」 今日見つからなければこのままこの街を出る。考えた末の結論だと思ったので、ロイがそう言っても俺は何も言わなかった。 ロイの隣に並び、ロイがそこかしこで手に入れて来た情報を辿って街を彷徨う。 ロイと並んで歩くなんて珍しいな、などと呑気なことを考える傍ら、聞いて置きたくて仕方なかった。 ロイは俺の突飛な質問に首を傾げる。 「…斬るの?」 「…。」 ずっと聞きたかった。正直、あいつさえいなければ、少なくともこの次にランネルと言う男の名を聞くまでは恐怖に慄いて生きる 必要はなくなる。自由への足枷が一つ外れるのだ。しかし、ロイはあの男とどう言う関係だったのか。 詳しく聞いたことはないが、俺とのような悪い関係ではなかったことが、ロイの口調から分かるので、尚更、激情に任せて殺して くれとは言えなかった。 「ロイはさ、どうやってエリガルと出会ったの?」 小さい街ではないので、歩き疲れたと言う俺の文句を聞き入れたロイと、街角の縁に腰かける。 目の前は初めてノアと出会った川沿いから真っ直ぐ繋がった浅い川の上に石橋がかかっている。 「あいつとは、子供の頃にデュノムのスラム街で出会った。」 ロイは石橋を眺めたまま、思い出す様にぽつりぽつりと話し出す。街の子供が二人、石橋の向こうを駆けて行った。 「親が死んで、人斬りと呼ばれるようになっても、俺は暫くスラムで暮らしていた。子供の手では食う為の稼ぎは何とかなっても、 宿を借りるだけの余裕はなかった。」 「確か…エリガルも孤児だって。」 「あぁ。あの時代、俺達の生まれた時代は生みの親のいる子供の方が少なかったからな。」 育ての親、いや扶養者がいればいい方だった。国の財政が転覆し、急に貧困へと変貌し始めた環境について行けず、 捨てられた子供、親の殺された子供、貧しさ故に親が扶養を投げ捨てた子供が今よりも街に溢れていた。現に、俺もロイも幼い ころに生みの親を無くしている。 「刀を握らなければ飢えて死ぬが、刀を持っていても、武器を抱えているという理由から子供であろうと命を狙われる危険性は否めなかった。 夜を越える時は、いつでも刀を腕に抱えるようにしていたのを覚えている。」 自分には少なくとも養ってくれる大人がいて、また寝床もあった。刀など握ったこともなかった。 「エリガルは、俺が寝起きをするスラムにある日ふらりとやってきた。 一目で同じ類の人間だと分かったが、デュノムのスラムでは見かけたことはなかった。」 後に別の街からやって来たと聞いた、とロイは言う。 「見知らぬ土地のスラムだと言うのに、奴の周囲に対する威圧は酷かった。」 スラムとは、貧困に没した人間だけでなく、人身売買や薬の売人など平和的でない人間もいる。 「当然、そんな生意気な餓鬼に、飢えで殺気立っている周りの人間が気づかない訳もない。 男が数人、エリガルの持っていた僅かな金を狙って奴に近づいて行った。」 縁石の小石を川に投げ入れると、遅れてぽちゃんと水音が耳に届いた。 「さすがに殺られた、と思った。」 ロイは言う。 「俺よりいくつか上だと言うことは分かったが、身なりはガキな上に素手だ。」 「でも殺られなかったんだ?」 「あぁ。奴の放った殺気は周りの人間を一蹴した。」 今度はロイが真似して小石を放り投げた。カランと石橋に当たって転がる。 「普段の奴はへらへらしているがな、あぁ見えても腕は立つ。」 「へぇ。」 エリガルとも随分になるが、そんな奴は見たことがなかった。 「最初は気に食わないと思ってたが、案外気が合ってな、二人でその日の稼ぎを得に出掛けることもあった。」 「悪友って奴だね。」 ロイは頷くが、すぐに視線を外した。 「それも、昔の話だ。」 「…ロイ。」 先程の子供達が橋の向こうから走って来る。手にはそれぞれ家から取ってきたであろう玩具が握られている。 子供達が傍を駆け抜けて行くのを眺め、ロイが腰を上げる。 「そろそろ行くか。」 「うん。」 立ち上がった俺の背を押した手は熱く、いつまでも上着の上からじわりと熱を持った。  


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