創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
ロイの肩を担ぎながら街を行く。なるべく目立たないよう、裏路地を通りながら宿を目指すが、
ロイの傷から流れた血が、点々と地面を濡らして痛々しい。
一刻も早く医者に見せる必要があったが、ロイはそれを頑なに拒んだ。掠った程度だと言うロイに反して、傷口の血は止まらない。
深く切っているに違いなかった。
「医者には行かねぇ。こんな傷、いつものことだ。」
ロイは一点張りのようにそう言うだけだ。こんな大傷を造った上に、後から時期に知れるであろうエリガルやノアのことが街で
騒がれれば、この街に居にくくなるからと言うことだった。どちらにしても、ロイの傷が癒えるまではこの街からは出られない
だろうと思っていた。
「愛じゃない、って思ったんだ。」
力が抜けてずり落ちそうになるロイの体を支え直す。ロイの血が、俺のシャツにも徐々に染み込んで行った。
唐突に切り出した言葉だったが、ロイは察したように何も言わなかった。
「ノアが俺を想う度に、そう思った。さっきだって、そうだ。」
命の狭間の言葉さえ、心の何処かで信じきってやれなかった。
「ノアは俺達の為に死んだ。」
愛じゃないと言った時のノアの表情を、今でも鮮明に思い出せる。
一瞬、酷く傷ついた顔を見せたその仕草は、唯の少女の顔だった。
「ノアは…エマによく似ていた。」
荒い息を繰り返しながら、ロイが呟く。エマはノアに似ていた。似ているなんてものじゃない。その容貌は、エマそのものだった。
ロイはその事実を今、初めて俺に告げる。
「…。」
けれど、俺はその事実を知っていたのだ。
「けれど、あれはエマじゃない。」
ロイは低い声でそう言う。
「だから、振り返らなかった。どんなに似ていようと、エマじゃない。」
ロイはただ、暮れた街の先をじっと見つめていた。俺はその横顔を眺め、思う。
「ねぇ、ロイ。」
宿のある道の角まで差し掛かった。俺は自分達の宿の屋根を見上げる。
「もしも、あれがエマだったら…」
そこまで言って口を噤む。ロイは唯、宿の先に続く通りの先を見つめていた。
「俺もあの瓦礫の下だ。」
それは、確信に近いロイの言葉だった。俺も、そうするのではないかと思っていた。
あの時、もしも瓦礫の下に居たのがエマだったなら、ロイは迷わずあの瓦礫の中に飛び込んで行っただろう。
俺と目指す道の先も、自分の野望も、何もかも忘れ―――――
掴んでいた俺の腕を離して。
「…帰ろう、ロイ。傷の手当てをしなくちゃ。」
そう言って、俺はもう一度ロイの体を抱え直す。
腕に触れるロイの体温が、自分の肌にじわりと沁みた。
血だらけのロイを抱えてなんとか部屋に辿りついた頃には、日は既に落ち、夜はとっぷりと暮れていた。
俺は一度ロイを残して宿を出、街の薬屋で手に入れた包帯や薬の小瓶を抱えて戻った。
「酷い出血だから、まず血止めをしなくちゃ。」
明るい照明の下で再度よく傷を見ると、体中に血の滲んだ掠り傷がある。知らず、刀の掠った後だろう。
けれど、まず血止めが必要なのは、肩から大きく斜めに横切った傷だった。やはり思ったよりも深く斬りこまれている。
包帯や薬の瓶を床に放りだし、ベッドに横になるロイを覗き込む。大きく斬り裂かれた喉元から血が噴き出す様に出ている。
荒い息を繰り返すロイは、既に痛みで意識が朦朧としているらしく、目を瞑ったまま苦しそうに顔を歪める。
知るだけの知識で薬を染み込ませたガーゼを当て、包帯で顔を覆って止血をする。買い漁った薬の中に、
要るだろうと店の棚からくすねて来た即効性の痛み止めと麻酔薬をロイに施すと、
暫くして顰められた眉が緩み呼吸も大分落ち着くようになった。
「眠ったかな…。」
俺は規則的な呼吸を繰り返す様になったロイに一安心したが、すぐにロイのシャツを裂いて細部の傷に薬を塗る。
完全にロイの傷を治療し終わったところで、俺もやっと床に腰を下ろした。自分の治療で何処まで回復するかは分からない。
俺は横たわるロイを眺めた。
この先、こんな傷を負うことがあったなら。
「…。」
目が覚めたら、ロイは何て言うだろうか。いや、その答えは既に分かり切っている。恐らく、ランネルを追うと言うだろう。
俺はロイの眠るベッドの端に身体を預け、目を閉じた。思っていたよりも身体が疲れているようで、
瞼を閉じると直ぐに眠気が襲ってきた。
ランネル。
瞼の裏の暗闇の中で、こちらに背を向けて逃げる少女の姿があった。よく知った赤毛に蒼眼の少女だった。
『止めて…嫌だ!』
逃げる少女の髪を捕まえて、床に叩きつけた男は、その手で少女の衣服を剥ぐ。
『嫌だ…嫌だ…!その薬は嫌だっ!』
口に含まされた薬を飲み下すと、その身体を差し出すことを強要された少女は、自身の意志に反して男に向かって手を差し伸べる。
『早く…早く…。』
そう呟きながら、嫌悪感と吐き気に涙を流す少女を見て、男は笑うのだ。
『良い玩具を買った。』
と。暗闇の中で見るその男の顔もまた、よく知った顔だった。あの日から、一度も忘れたことはなかった。
ランネルの、あの男の顔を。
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