創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
長く居座ったジゼルの街を出る。
出掛けに、店の準備をしていた八百屋の主人に、アランが一つの鍵を手渡した。主人は全て知っていると言う風に、
何も言わずにその鍵を受け取った。
「あの小屋、頼んで行ってもいいかな?」
アランがすまなそうに言うと、主人はいつもの穏やかな顔で笑って言った。
「好きに使っていいんだろ?」
「あぁ、でも…。」
言い淀むアランを見て、主人は深く頷いた。
「分かってる。大切にするさ。」
「ありがとう。」
アランが手を差し出すと、主人はしっかりと両手でその手を取り、固く握った。
「元気でな。」
「うん、世話になったよ。」
俺の知らない関係をこの街で築いたであろうアランを連れだしてしまうことに躊躇いがない訳ではなかったが、
そんな迷いを口にしても、アランは俺についていくというだけだろうと分かっている。だから何も言わずに、
俺もその主人に静かに頭を下げた。
「あぁ、それと。剣士のあんた、ドクターから伝言だ。」
「俺に?」
「身体に無理をかけると、今度こそ声が出なくなるぞ、と脅していたよ。」
「…分かった。すまないな。」
街を抜ける際、ノアの店だった小屋の前を通りすぎた。
アランは一度ちらりとそちらを窺っていたが、すぐに振り切るように前を向いて歩きだしたので、
俺はそっとその肩を前へと押した。
急ぐ旅ではないが、振り返れない旅だった。
「行ったか。」
「…何だ、リンク。診療所はいいのかい?」
「お前こそ店を開けっぱなしじゃろう。」
「うちはいいさ。アデルの果物屋は潰れない、ってな。」
「馬鹿が。」
「それより、よかったのかい?見送らなくて。あの人斬りの兄さんの傷を心配してたんだろう?」
「それを言うならお前だって、あの綺麗な男を気にかけてたじゃろうて。」
「あぁ、もういい。」
「…そう言えば、ミネルバに行くと言っていた。」
「ミネルバ?」
「見てみたい場所があると言っておった。」
「…南の果ての?」
「あぁ。」
「そうかい。懐かしいな。」
「…あぁ。」
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