創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
何日そうして街をさ迷っただろう。
街に着いてからというもの、一日と欠かさずに目的の男の消息を探した。
ランネルがジゼルの街を出て南に向かったと言う情報が確かなら、この街を通らないはずも、立ち寄らないはずもない。
だがそれ以前に、ランネルの行方は奴の下で動いていたエリガルから聞いた話だ。
よくよく考えれば必ずと言える確証はどこにもない。
「…参った。」
思わずため息と共に漏れた声に自分で肩の力を落とす。もう同じことを繰り返して二週間が経った。
二週間歩き回っても、街自体が広くてなかなか隅々まで目を配るかとが出来ない。元々栄えた街なので、
自分の刀の錆になる輩を捜すのにも骨が折れる。
また、この街で毛髪一本の情報も得られないとなると、あの男がこの先に進んだと言う可能性は低い。
もう二週間、探して何の手掛かりも掴めなければ、いよいよ足止めだろうとは思っていた。
「おい、婆さん。」
俺はこの街で最初に訪れた飯屋の前に来ていた。
通って店に顔が知れる程上手いと言う訳ではなかったが、ちょくちょく訪れてはいたので、
当然その店の前にほとんど毎日店を出す占い師の老婆のことも知っていた。
「おや、蒼い月の坊主だね。」
老婆は俺を見る度そう言った。坊主と言われるような歳ではないと大概うんざりだとは思っていたが、それ以外老婆が俺に何かを
告げることはない。
「その蒼い月ってのが何かは知らねぇけど、あんただったら俺の探してる男を見かけたことがあるんじゃねえかと思ってな。」
初めは頭のおかしな老婆だと思ったが、よく知るうちに他の人間とは違った空気を纏っていることに気付いた。俺は老婆の広げた
黒い木机の前にしゃがみ込む。
「何故そう思う?」
老婆は深く被ったローブの奥でにやりと笑う。
「あんた、いつもここに店出してんだろう?それなら一度くらい見たことがあるんじゃねぇかと思ってな。」
それだけだ、と言うと老婆はローブの奥から皺のよった細い指を出してこちらを指す。
「何だよ。」
意味が分からず少々乱暴にそう言うと、俺の口調に呆れたようなため息を零しながら、老婆が真っ直ぐに向かい合った俺の向こう
側の空を指差す。不思議に思ってその指し示す先を見ると、迫るように立つ飯屋の壁から頭一つ抜きん出ていると言ったように
遠くに立つ筈の城の天辺がそこから顔を覗かせていた。
「城…?」
「知りたければ行くべきだ。」
老婆はそれだけ言うと、もうそれ以上教えることはないと言ったように口を結び、目を閉じてしまう。
俺は仕方なく、その悠然と聳える城に行ってみることにした。
俺は言われるままに城の足元に立っていた。真正面には大きな門が聳え、遠くに門番が立っているのも窺える。
恐らく容易に入れてもらおうなどとは甘い考えだろう。俺は城の城壁に沿って歩く。何処か城の上へと上がれる場所はないかと
探す。くるりと城の裏側に回ると、古ぼけて鉄柵の歪んだ螺旋階段が目に入る。傍まで寄り、その先を見上げると城の上部へと
繋がっているようだった。錆びた階段が見目に酷く危うかったが、俺はその鉄柵を跨いでそれを登る。街自体そうたが、
城も高さはあるが特に派手な装飾もなく、白く統一された壁が美しいと言うだけのものだった。近づいて見ればそれはより強く
強調され、城にしてはどこか寂しい感じがしないでもない。階段を上がり切ると、大砲や古びた火薬箱の置かれた広い塔の天辺に
辿りついた。十分な高さ故に、街の様子を悠に見下ろせた。
「まさかここから見下ろして奴を捜せって言うんじゃねぇだろうな。」
そんな馬鹿な、とは思いつつも、一通り市街を見渡して舌打ちをする。
「馬鹿馬鹿しい。」
そう言って踵を返そうとした時だった。
「誰だ!そこにいるのは。」
声の方をふり返ると、城の門番と同じ、深緑の軍服を着た兵士が一人、城の内部から続く戸口の前に立っていた。
「ちょっと探し物だ。」
俺はそれだけ言って元来た螺旋階段へと足を向ける。面倒なことになりそうだ。兵士は抱えていた長槍を俺に向ける。
「城の許可を通しての用件か。」
「んなもんは知らねぇが、お前らに迷惑はかけねぇさ。」
「そのような言われが通る訳なかろう。場合によっては牢獄行きだ。」
兵士が一歩こちらに近づく。面倒なことになったと思いながら一つため息をつく。
両手を顔の横で挙げると、その兵士は訝しげな顔をする。
「まあ、そう力むな。すぐ出て行く。」
その方が今は懸命だろう。城に入り込むなら、日が落ちてからでも構わないだろう。降ろされた長槍を見て、静かに踵を返す。
階段に一歩足を踏み出すと、背に兵士が呟いた声が届いた。
「ったく、また侵入者か。愚弄者共が。」
「また?どう言う意味だ。」
「どうって、そのままの意味だ。数日前も不審な男がここで刀を携えた男と一戦やり合って、刀の男の方が片腕を失ったばかりさ。
丁度お前のような風貌だったがな。」
兵士は俺の右腕を見ながら言って、分かったら出て行けと続ける。見知らぬ輩の話はどうでも良かったが、どちらにしても此処に
は何も手掛りは見つからない。
「邪魔したな。」
やはりあの老婆の話は出鱈目だったか。鵜呑みにした自分が馬鹿らしく思え、早々に踵を返して立ち去ろうとしたときだった。
「おい、お前。」
先刻の兵士が呼び止める。黙って後ろをふりかえると、兵士は思い出したように口を開いた。
「お前、剣士か?」
「…いや。」
人斬りだと言うのは流石に躊躇われた。
「まさか、人斬りか?」
「何故、そんな事を聞く。」
「いや、何。今話した男が人斬りだったからさ。国の門番を潜り抜けたその男を今捜しているところだ。」
「へぇ。で、俺が人斬りだと認めたら俺も捕まえんのか。」
兵士を睨んでにやりと笑ってやると、兵士は一瞬怯んだが、負けじとそうだ、と凄む。
「…俺には関係ねぇな。例え俺が人斬りだったとしても、腕を切り落とされたり、たかが国の兵士一人に捕まったりはしねぇ。」
挑発的な口調にその兵士は多少眉を顰めて嫌な顔をしたが、
「そりゃあ仕方ねぇさ。どうやら死闘だったらしいからな。」
「あ?こんな場所でか。」
「あぁ。芥子かけたのは人斬りの方らしいが、まぁ、相手が悪かったのさ。勝った男は相当腕が立つ権力者らしいからな。
その事件以後、頻繁に城を訪れて何やら国王様に相談を持ち掛けているらしい。」
「王に?」
「詳しいことも、あの男の素性も俺たちには知れないがな。」
「この国の人間じゃないのか。」
「あぁ、北の国から来たと聞いたな。確か…。」
俺は話の展開に息を呑んだ。
「デュノムと言う街だ。」
見つけた。
「おい、その男は今何処にいる!」
「さぁ…たまにふらりとやってくるだけで、詳しいことは…。」
「だが、この街にいるのは確か何だな。」
「あ、あぁ。」
やっと掴んだ。見知らぬ土地からやって来て上手く取り入っている人間など奴に違いない。
「何だ、お前。あの男を知ってるのか?」
兵士は訝し気に俺を見る。
「いや、こっちの話だ。それより、一国の兵士が俺みたいな奴にそんな簡単に口を開いていいのかよ。」
そう言うと、兵士は然も当たり前かのように言う。
「これも仕事のうちだ。その男が刀を身につけた男を捜しているらしくてな。見かけたら確かめるよう、命令が出ている。」
その言葉に背筋がぞくりと震える。間違いなく、自分のことだ。無意識に刀の柄を握る。
「その様子じゃ、お前のことじゃないのか?」
身に覚えがあるんだろう、と兵士は言う。
「いや、人違いだろ。」
すぐ様そう返すと兵士はますます訝し気な顔をしたが、俺は何か言い返される前に兵士に背を向け、今度こそ城を後にした。
城を背に歩きながら、刀が握った柄からいつものように刀の唸り声が響く。
血が吸いたいと哭く声は、今までのどんな一戦よりも耳に響いた。
城が遠くに霞むようになった頃、ほんの一瞬、頭にエマの顔が過ぎる。
その時は、近い。
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