創作小説

蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―

  次の朝、俺は宿の主人に払いをして扉の前に立っていた。 求めるべきものに思い当たる節があった以上、早々に行動したくてたまらなかった。 後ろについて見送る主人に向かい合うと、今日は奥の部屋に女の姿も見えた。 「あれは…。」 その女に、確かに見覚えがあった。 「妻です。」 主人の声が届いたのか、顔を上げた女は短い髪を靡かせて笑う。 一瞬向こうも俺に気づいてはっと顔色を変えたが、すぐに軽い会釈と共に零す笑顔に、俺は何も言わずにおいた。 「あんた達は、この街の生まれなのか。」 唐突だったのか、主人は一瞬きょとんとしてから 「僕はそうですけど、妻は北の生まれです。昨日話したように昔の仕事から足を洗う為にこの街に来たんです。」 やはり、そうか。 「それが何か?」 「いや、俺も人を探してこの街に来た身なんだ。この街に長く住んでいるなら、何か知っているかと思ってな。」 咄嗟にそう言うと、主人はあぁ、と合点が言ったように笑う。 「そうですね…。お客さんの捜してる人がどういう人かは分かりませんが…、お客さんのように刀を持ったお客さんなら 以前泊られたことはありますよ。」 そ主人の言葉に暫し考えを巡らすが、ランネルは剣士でも人斬りでもない。 「いや、ランネルは俺とは職柄が違うんだ。」 「そうですか。そう言えばその方は随分お歳を召して居られましたし、お名前もランネルではなく …確かヴィルとかおっしゃって…。」 「何?ヴィルと言うのか、その男は。」 「えぇ。ジゼルと言う街から来られたと…。」 「本当か。」 あの男だ。 「えぇ。でもこの前城で起った討ち合いで亡くなられた方がそうだったと聞きました。街の噂ですが。」 思わぬ噂を聞いたものだ。奴はこの街で死んだ。 そして、噂が本当なら、その相手は――――― 「その相手が俺の捜している男だ。」 「そうですか!しかし、残念ながらその後のことは…。」 そう言う主人に断りながら、後少しこの街に着くのが早ければ、再会出来ていたかもしれないと考える。惜しいことをした。 「ともかく、世話になったな。」 「いえ、また是非起こし下さい。」 そう言って笑った青年にぎこちない笑みを返す。 「今度は、大切な人も一緒に。」 「あぁ。そうする。」 以前あの女に出会った時は、もっと長い髪をしていた。 綺麗な髪だったが、唯処理の為に女を抱いていたあの頃は、それが邪魔で仕方ないと思っていた。 「お元気で。」 唯、あの女だけは情婦にして置くには勿体ない女だと、一瞬だが思ったことはあった。 宿のソファの上に畳まれた服と、喉元に残った赤い痕。 長い髪を失うその日を、ずっと望んでいた。 「あぁ。二人、仲良くな。」 長い髪を切ったのは、香と化粧に塗れた闇を捨てて、1人の男に付いて行く覚悟の証だ。 「ロイさん。」 踵を返しかけた時、そう呼び止められて振り返る。 「どんな形であっても、そうなるべきだったことに間違いなんてありません。」 「そうだな。」 今度こそ背を向けた自分に、二人が頭を下げているのが分かり、俺はそっと片手を上げた。 今なら分かる。 アランと出逢ったあの日が必然だったなら、今、手放せない自分も必然だ、と。  街は今日もよく賑わっている。俺がこの街に来て、随分経ち、城にも何度か足を運んでいるが、ランネルの消息は分からない。 一体、何処にいる。 その時、ふと辺りを見回すついでに見上げた視界に、城の上部が飛び込んで来る。 ちょうど以前おれが忍び込んだ広いバルコニーの壁枠の部分だ。 「… 」 白い壁の端に見える影に目を凝らす。人影のようだ。日に当たって、顔はよく見えない。 だが、その背恰好に見覚えがあった。 「…ランネル 」 気付けば城に向かって走り出していた。確証はないが、自信はあった。 何故なら、その人影がじっとこちらを見ているように映ったからだ。 弾かれるように登り切った城のバルコニーには、やはりその場所に不釣り合いな人影が立っていた。 「見つけたぜ、ランネル。」 にやりと笑うと、ランネルは平然とこちらを振り返る。 「それはこちらの科白だよ。随分暴れてくれたな。エリガルといい、アランといい。 お前の仕事ぶりは買っていたが、私の大事な物まで掻っ攫っていくのはやめてくれ。」 まるで愚痴を溢すようにそう言うと、浮かべていた笑みを引っ込めて口を弾き結ぶ。 糸を引いたように、ぴりっと空気が張り詰める。 「それだけじゃねぇだろ。」 「何?」 ランネルが眉を潜める。 「もう一人、お前が手中においていた人間がいるはずだ。」 「…さあ、何のことだろうな。」 暫し考え、俺の言葉に心当たりがあったのか、ランネルは小馬鹿にしたように笑って目を伏せる。 その様子に血が身体を遡るのを覚えた。 「恍け…!」 「おや、その傷はどうした。」 俺の言葉を遮ってランネルが問う。 「エリガルにやられた。違うか?」 「…。」 俺が黙っていると、ランネルがふと俺の腰元を見る。 「お前、いつもの刀はどうした。」 俺は少し躊躇って呟く。 「預けてある。」 「ほう。何故。」 「お前には関係ねえ。」 そう言うと、大方の察しはつく、と呟いて笑う。厭味な笑みに気持ちが苛立つ。 「そのボロ刀で私とやり合うつもりか。」 そう言うランネルの上着を凝視すると、内ポケットに拳銃が入っていることが分かる。 「これで充分だ。」 そう言うと、何を思ったのかランネルは先刻の俺の問いを持ちだす。 「俺に聞きたいことがあるんだろう。」 ランネルが言う。唐突な言葉に暫し躊躇したが、 「あぁ。」 と言うとランネルが腕を組む。 「聞いてやろう。言ってみろ。」 「…数十年前、デュノムの街で赤毛で蒼眼の女を買ったか。」 予想していたのか、ランネルの表情は少しも変わらない。 「答えろ。」 睨みつける俺を見返したまま、ランネルは口を引き結んでいる。しかし、長い沈黙の後でゆっくりとその口を開いた。 「お前の話す女を知っている。」 「エマを、か。」 自分の声が震えているのが分かる。 「十三のあの女を買ったのは俺だ。」 「…!」 閉じた喉が、飲み込んだ言葉に焼き切れそうだった。 「貴様…。」 絞り出した声に、無意識に憎悪が籠る。これで、迷いもなくこの男を斬ることが出来る。そんな考えが頭の隅を過った。 「まあそう怒るな。済んだことだ。それに…」 ランネルは平然とした顔で、言葉を続ける。 「より詳しく聞きたければアランに聞いたらどうだ?」 「…アラン?」 予想もしていなかった言葉だ。何故、今アランの名が出て来る。 「何だ、知らないのか。」 「どういう意味だ。」 先が気になって矢継ぎ早に聞き返す。 「…はっ。そうか。それなら尚更俺を倒さなければな。」 しかし、ランネルは鼻で笑った後、言葉を濁して上着の内ポケットに手を差し入れる。 「生きていたら、聞いてみろ。」 そう言うや否や、引き抜かれた拳銃から弾丸が飛。 「ちっ… 」 動き予測して咄嗟に避けたが、ランネルも俺の動きを読んで、弾丸は俺の頬を掠った。 「甘いな。」 正面からこの男とやり合ったことはなかった。だが、これ程までに腕が立つとは思わなかった。 何とか間合いを取ろうと近づくが、ランネルの放った弾は必ず俺の服を掠った。 「何だ、その程度か。」 ランネルは仁王立ちしたその場所から一歩も動くことなく弾を放つ。俺の額にじわりと汗が滲む。 サイレンサーによって銃声が届かないため、街はいつもの賑わいで、城はやはり静かなままだ。 何発目かの弾を避け、一気にランネルの足元まで間合いを詰める。銃を斬り払ってしまえば勝ち目はあった。 しかし、ランネルの銃に刃を詰めた時、きしっと刃が軋む音が耳に届き、咄嗟に折れると思った。 「愛刀を持って来なかったことを後悔するだろう。」 刀の刃が二つに折れる瞬間、ランネルが刃を抑えていた銃を握り直し、至近距離で銃口がこちらに向けられる。 殺られると思った。 「ぐ、ああっ…! 」 ランネルの放った弾が、俺の喉元に当たる。エリガルに受けた肩の傷が徐々に開くのを感じた。 「刀を持たずに人斬りを語るのか。」 倒れた俺の手をランネルが踏みつけて言う。 「愚弄だな。」 唇を噛み締めると、口内に薄く血の味が広がる。伸ばした手が宙を掻くと、俺はそのまま意識を手放した。


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