創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
――――全て話を終えた時、俺とアランはふと道の正面からこちらに歩いてくる人影を見つける。
今まで一度も人に出会わなかったのに、とアランがぽつりと呟いた。目を凝らす。腰に刀。
その背丈も、こちらに近づくにつれてはっきりと分かる輪郭も容姿も、見覚えのある姿だった。
思わず足を止めると、男がこちらに気づいて顔を上げる。
男も、俺の前で立ち止まった。
「…でかくなったもんだな。」
男はそう言って口の端で笑う。あの頃にはなかった皺がその口元には刻まれており、年月を経たことが分かる。
「あんた、死んだんじゃ…。」
思わずそう聞くと、その言葉を聞いたアランがはっとし、ノアの…と小さな声で呟いた。
「そう聞いたのか?」
男は眼もとまで被っていたフードを後ろに上げ、アランを見る。
「あぁ。その…あんたの娘に…。」
アランはノアのことを切り出すのを躊躇っていた。俺もまた、アランの言葉の続きを言ってやることは出来なかった。
「あの街に…ジゼルに帰っても、俺を待っている人間はいないかもしれないな。」
言い淀む俺達を見て、男は自嘲するように笑う。
「ノアは…。」
「聞いたよ。」
「え?」
思い切って口を開いたアランを制して、ヴィルが頷く。全て心得ていると言う顔だった。
アランがどうしてと言いかけて男が急に厳しい目をした。自然、刀に手を添えた。
「ランネルから。」
「!」
俺は咄嗟にアランの前出て、刀の鞘を握る。それを見てヴィルは困ったように笑った。
「そう怖い顔をするな。国の徴収にこそ逆らったが、俺は奴の下では働かない。何より、もぎ取られたこいつがその証拠だ。」
そう言ってマントの下から衣服に覆われ、しかしひじより下の実態のない腕をこちらにむける。
驚いて目を向いたアランを見て、男は小さく笑うと、さっと腕をマントの下に仕舞う。
「ロイ、と言ったな。」
「あぁ。」
「何の為に刀を振る。」
男は、真摯な目でこちらを見つめていた。あの日、父親の刀を手にしたあの日、初めて言葉を交わした日を思い出す。
「今も昔も自分の為だ。」
それは、淀みも迷いもない事実だった。
刀を手にしたのは、生きて行く術であり、エマを助けてやれなかった自分の不甲斐なさへの抗いでもあった。
「そうか。」
ヴィルはそう言うと自分の腰元にささっている刀に手を添える。
新しいと言っても随分使い込まれているが、俺と出会った日よりも後に手にした刀だろう。
怪しく殺気を放つそれは、腕の立つ持ち主に使い込まれてた証だった。
「でも。」
俺も自分の刀に手を添える。斬らなくてもいい者も、斬りたくなどなかったが斬らずにを得なかった者も斬って来た刀だ。
この男には敵わなくとも、これでも随分気を発するようになったと思う。斬るだけではなく、守りたいものを守れる程に。
「今は、こいつの為でもある。」
俺の言葉に、アランが小さく肩を揺らす。俺も見上げた目が、一瞬別の女の目に見えて、俺は小さく頭を振った。
「十分だ。」
ヴィルはゆっくりと頷くと、そこで初めて柔らかい表情を見せた。
「お前と一戦やってみたかったが、この通り腕がな…。」
「あんたには借りがある。命だけは見逃してやるさ。」
そう言うとヴィルは鼻で笑う。
「はっ…言うようになったな。」
「見届けると言ったのはあんただ。」
俺の言葉に、ヴィルは静かに俯いて
「…そうだったな。」
と笑った。
「ミネルバの街に行くんだろう。気をつけろ。」
「あぁ、あんたもな。」
俺達はジゼルへと引き返すヴィルに別れを告げ、先を進んだ。
「ロイ?」
アランが先を行く俺を後ろから覗き込む。薄々、気付いていたのだろう。
「もうすぐミネルバだ。」
それだけ言うと、アランは静かに頷いた。
目的を失った時、先へ進む術を失った時、人はどう生きるのだろうと随分昔に考えたことがあった。
それは親が死に、薄汚い街を這いまわっていた頃であり、エマを失ったあの雨の日から想い続けていたことだった。
恐らく、ヴィルはジゼルの街へは帰らないだろう。ランネルに落とされた腕も、帰る場所も戻らないと知った上で歩を進めるのだ。
死に場所を、選ぶ為に。
理由なんてない直感のようなものだったが、片腕を失ったあの気高い男を見てそう思った。
人は、何の為に生きるのか。
その答えを知るには、まだ俺は未熟過ぎた。
「あれが、ミネルバの街だ。」
五年前に立った同じ丘に、アランと並ぶ。
「あれが…。」
見下ろした城壁は、よく知る白壁で、アランはその壁を何時なくも真剣な顔で見つめていた。あそこにランネルが居る。
それを痛いほど感じているのか、アランは無意識にぎゅっと俺の服の端を握っていた。
「行くぞ。」
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