創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
「へぇ。結構頑丈な警備なんだね。」
街の城壁に近付くにつれ見えてきた門番の姿に、アランが苦笑する。
「心配するな。一度は通った門だ。」
些か面倒だとは思ったが、案の定あの感に障る門番だった為、向こうも渋々道を開けた。
「あの人、俺のこと見てるよ。」
向けられる視線に、アランはすっと俺の身体に隠れる。仕事だから仕様がないと宥め、早足にその場を立ち去った。
じろじろ見るなと心の中で軽い悪態をついて。
「うわー。大きな街だな。」
先刻からアランは「わー。」とか「おぉ。」とか感嘆の声ばかりを繰り返す。
俺としては一度訪れた街だし、遊びに来ている訳でもないのでそう思うところがある訳でもないのだが、
アランは今までで最も大きな街並みと城下町と言う響きにはしゃいでいる。
「な、ロイ。美味い店とか面白い場所とか知ってるんだろ?連れてってよ。」
「お前な、何の目的で来たか分かってんのか。」
呆れて咎めると不貞腐れたようにそっぽを向く。
大体、長旅で疲れたと漏らしていた癖に、何処にそんな元気が余っているのかと嘆息ばかりが零れる。
「何も今すぐ、なんて言ってないよ。」
取って付けたように言っているが、果してどうだか。ことの重大さ自体、どれ程理解しているのか。
「全部片付けて、身体が丸々無事とは限らねえぞ。」
そう言うと、アランはにやりと笑う。普段しない笑い方に嫌な予感がした。
「じゃあ、尚更先に案内してもらわなくちゃ。」
そら見ろ。いつからこんなにずる賢くなったんだ。ばつの悪い顔をした俺に、アランはこう付け足した。
「ロイが怪我する前にさ。」
「何で俺だけなんだよ。」
その言葉だけは上手く聞こえないふりをして。
街について早々動き回るアランを言い包め、適当な宿をとる。
一瞬、あの小さな宿夫婦の顔が浮かんだが、暫し悩んで辞めてしまった。
弱音など吐きいはしない。それでも、死ぬかもしれないから。
また連れ込み宿か、とぼやくアランを横目に思う。もし宿をとったまま面倒を起こしてはあの夫婦に迷惑もかかる。
「アラン。」
宿に荷を降ろし、一息ついたアランを呼ぶ。
「何?」
振り返った笑顔につきんと痛む胸は今だからこそ素直に受け入れる。
「お前は、ここに残るか。」
ここまで連れて来ておいて何を、と自分に訴える。アランの顔色が変わった。
「どう言う意味?」
また置いて行くのか。その思いが既に見て取れる。
「ジゼルにお前を迎えに行くのを、本当は迷っていた。」
この想い自体、言うつもりなど毛頭なかった。
「死にに行くと分かっていて、お前を迎えに行く必要なんてあるのかと、ずっと考えていた。」
唯、アランの笑顔を見たら言わずに置けなかったのだ。
「俺は俺の為に刀を振る。だが、そう思っていても、もしもお前に何かあれば、俺はお前の為にもそうするだろう。」
この笑顔を手放そうとした自分を。
「絶対に守れると言えないなら、このまま逢わない方がいいと思った。」
「ロイ… 」
「この街で、俺はある夫婦に出逢った。」
幸せの方法は一つではないと知った。
「俺がランネルを斬り、エマの敵を討ったら、お前は手に入れた自由で普通の女と結婚し、子供が出来て家族を持つ。
それも未来の一つだ。」
アランは話を聞きながらだんだんと俯き、下を向いたまま動かなくなった。
「それから…。ロイはどうするの?」
消えるような声だった。
「死ねばそれまで、俺は独りでも生きていける。」
そう言うと、アランはゆっくりと俺の腰掛けたソファに同じように腰を下ろす。
「それは…俺が居なくても生きていけるってこと‥?」
拗ねたように、そして何より悲し気にその言葉が響くので、俺は大きく被りを振った。
「そうじゃない。お前にはそう言う未来もあると言うことだ。」
まだ、間に合う。アランがそれを望むなら、死と向かい合う今なら、手放してやることも出来なくはないだろう。
アランは何も言わなかった。ずっと膝の上で手を組みながら、唯、自分の足元を眺めて黙っている。
旅に草臥れた靴は綺麗な男に似合わずボロボロだった。
「ロイには言ってなかったけど。」
暫くぶりにアランが口を開く。
「ロイの刀で人を斬った。」
「何…?」
それがすぐに離れていた五年間の出来事だと言うことは分かったが、耳に届いた言葉を疑った。
「独りでいると、自分が何なのか分からなくなって。ロイが…。ロイがもう帰って来ないんじゃないかって。」
本当に独りになってしまったのではないかと。そう言って、アランは俺を見つめ返す。懺悔の浮かんだ瞳だ。
「買った男を斬った。」
「それで刀の気が変わっていたのか。」
アランから預けていた刀を受け取った時、長く使っていなかったにも関わらず、刀の覇気が衰えていなかった。
部屋の隅に立て掛けてある刀を見る。血を吸っていたからか。そう、ぼんやりと考える。
「ロイは言うなって言ったけど、あの五年の間に、俺は人に買われて生き延びて来た。」
かっと血がのぼるのを感じたが、アランが人を殺めていたと言う事実に、すぐに頭が働かなかった。
「ごめん。」
そう言うアランを見て、自分のせいだと思う。寂しさに耐えられない男を長く独りにした。
「業を背負ったって言うなら俺もだよ。」
アランが言う。数年前より遥かに強い意志を持っているその瞳に、それ以上何かを問うことは出来なかった。
「だから、俺も行くよ。」
強くなったこととは違う。アランは、先の未来を受け入れる覚悟を、あの5年で培っていた。
「扱いにくい男になったもんだな…。」
そう言うと、すっかり眉を下げていたアランが一瞬きょとんと目を丸め、その目をゆっくりと補初める。
「聞き分けのいい子供とは違うよ。」
目尻をほんの少し赤らめたまま。
「来い。」
伸ばした腕にアランが笑う。
「疲れてたんじゃなかったの?」
「いや、腹上死ってのもいいな。」
「むしろ痛み分けだろ。」
意地の悪いアランの言葉に苦笑しながら、その肌に顔を埋めた。
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