創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
Side:Roi
ランネルは、アランを愛していたのだろうか。
そう考えたことがない訳ではなかった。アランに関わる全ての人間が、あの男の色香に魅了され、欲のままに欲し、
皆滅びていった。
アランを腕に抱いて自分も滅びてしまうというならそれも本望だが、あの非道な男の手に渡ってしまうくらいなら。
「ロイ?」
呼ばれてはっとする。
「…何でもない。」
「そう?」
俺は、何を考えていた?
自分の物にならないなら…ならないならば、どうすると言うのか。一瞬、頭を過った考えに身震いする。
頭を過ったのは、殺したい程の激情。
これではあの外道な人間達と変わらないではないか。
「馬鹿なことを…。」
そう呟いて。小さく頭を振った。
「これから、どうする?」
アランは上着を羽織りながら言う。日はとっくに昇っている。
「あ、あぁ。奴があの場所から何を見ていたかが知りたい。それが分かれば奴の居場所も掴めるかもしれねぇ。」
「…分かった。行くよ、俺。」
そう言うアランはぐっと何かを堪えるように肩肘を張っていた。それは、まるで恐怖に負けまいとしているようだった。
宿を出て、城へ向かう前に俺はいつもの飯屋に立ち寄った。正確には、あの老婆の元に。
いつもの角に、ロゼは居た。アランを店の角に残し、いつものように黙ってロゼの傍まで歩いて行くと、
ぴくりとロゼが肩を揺らし、こちらを見る。
「あの男のことだが…。」
何の前触れもなくそう切り出したが、ロゼは全て心得ていると言った風に口を開く。
「あたしが前に話した男かい?」
俺はあぁ、と言って、一つ浅い息を吸う。
「その男はジェフと言うんじゃねぇか?」
微笑んでいたロゼの頬がすっと下がり、真っ直ぐこちらを見返してくる目に、俺も時日を確信した。
「やっぱり…あんただったかい。あの男を殺したのは。」
「あぁ。」
「そうかい。」
ロゼはそれっきり口を噤む。次の言葉が見つからず、暫し訪れた沈黙の先で、俺は静かに最も聞きたかったことを口にした。
「婆さんは、今でもあの男を好いてんのか。」
ロゼは俯いたままふっと笑う。
「好き嫌いの問題じゃないさ。たとえどんなに憎んでも、あたしはあの男から逃れられない。
あの男があたしを捨てた後ろ姿はこの瞼の裏から消えないさ。」
すっと上げられた瞳と視線がかち合う。意志を持った、鋭い眼差し。
「たとえ、あの男が死んでも。」
それは、切れない鎖を担っているのだと、暗に意味されていた。
「婆さんの言ってた蒼い月の意味、分かったぜ。」
「そうかい。」
ロゼは笑って言う。
「あんたの…大事な人なんだろう?」
柄にもなく見透かされていたことに照れを感じたが、何も言わず深く頷いておいた。
「逢ってみたいねぇ。」
恐らく、知っているのだろう。ジェフが選んだ男が自分が裏切った人間であり、そして、アランであると言うことを。
「…いつか、な。」
アランが、蒼い月だと言うことを。
「楽しみにしてるよ。」
俺はゆっくりと踵を返し、片手を上げる。
「じゃあな。」
数歩元来た道へと戻り、ふと立ちどまう。
「どうした。何か忘れものかい?」
「婆さん。」
店の角から、アランがこちらを覗いていた。その目は、ただロゼを見つめ、静かに瞬きを繰り返していた。
俺はアランを見つめながら、こちらを見ているであろうロゼに向かって言った。
「明日が見えるうちは光だ。」
雨上がりの街に、暖かい風が吹く。アランの赤毛を揺らして、俺の傍を駆け抜けて行った。また、ゆっくりと歩を進める。
「…アランを頼むよ。」
呟かれたロゼの言葉は俺の耳には届かなかった。
「行くぞ。」
店の角を曲がり、柱の陰に隠れていたアランの頭をぽんと叩くと、唇を噛み締めて後をついてくる。言いたいことも、思うことも、
数えきれないほどあるだろう。
けれど、それを一つも言葉にしないで。
「アラン。」
名を呼んで振り返ると、アランは俯いたまま小さく、けれど深く頷いた。
「今日は冷えるな。」
「当たり前だ。今日は蒼い月の晩さ。」
「あぁ、そうだったな。そりゃあ気味の悪い風も吹く。」
今日は、蒼い月の昇る晩。道中、耳にした言葉に顔を顰めた俺に気づいて、アランはどうしたのかと尋ねる。
「いや、何でもねぇ。」
そう誤魔化しながらも、違う、違うと意識を逸らせてきた喉の痛みは、今朝目を覚ましてから急にその痛みを主張し出していた。
魔術師ではないと言っておきながら、あの医者の言っていたことはずばり的中と言う訳だ。
俺はアランに気づかれぬように焼ける様な喉に手をやった。
もう少し、もう少し堪えてくれ。せめて、ランネルをこの手で仕留めるまでは。
「城を登るの?」
高い白壁を前にして何度もそう聞くアランに、そうだとだけ言って、俺は鉄の門をくぐった。
「邪魔する。」
傍の門番にそれだけ言うと、すっかり顔見知りになってしまった門番は顔を顰めながら
「勝手にしろ。」
といつものように不機嫌そうに呟いた。警戒はしているものの、下手に勘ぐったりはしていないようだ。
まぁ、あの門番の前で抜刀でもすれば話は変わって来るだろうが。
「ここ…?」
木戸を開け、広いバルコニーに出ると、アランは物珍しそうに辺りを見回す。
「あの縁からお前にこの街を見せたかったんだ。」
「街を?」
「あぁ。」
アランは不思議そうに首を傾げながらゆっくりと目の前に広がる縁へと歩いて行く。
「この景色…。」
バルコニーの端に寄りかかりながら、アランは目の前の景色に見入っていた。
「覚えがあるのか。」
そう聞くと、アランは一度深く頷く。予想をはしていたのだ。
ここからの景色が、あの街の、ある一点から見下ろす景色によく似ていたとしたら。
アランが喉を鳴らして息を呑む。
「う、うん。この景色は…―――――」
「お前の部屋から見たデュノムの街だ。」
「!」
慌てて振り返った先に立っていたのは、
「似ているだろう。あの頃の景色に。」
ランネルだった。
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