創作小説
蒼の晩 ―斬獲人と愛妾―
ランネルは同じように城の先に見える街の景色を眺める。思わず後ずさったアランの腕が震えている。
「懐かしいな。私もお前が屋敷を離れてからはあの部屋は締め切っていたからな。私も久しぶりに見る。」
この街まで下ってきた丘は両親の眠る丘。城の城壁は屋敷の囲いのように白く、遠くに見える教会はアランが神に
自由を祈ったデュノムの街のそれだった。
「どうだ。似ているだろう。」
何処までも卑劣な男だ。ちらりと隣のアランに目をやると俯いてこれでもかと言うほど口を弾き結んで堪えている。
俺はアランの前に進み出て、ランネルに対峙する。
「自分の屋敷に似せた城を乗っ取って、どうするってんだ。」
俺の問いかけにランネルは目を細める。
「懐古だよ。私の記憶がまた現実になるのさ。」
全てを手に入れた今こそ。そう言って、ランネルは再度アランを見つめる。
「その為にはアランが必要不可欠だ。」
アランが背後で肩を震わせる。
「そこまで言うなら何故手放した。」
俺が言うと、ランネルは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「手放してなどいないさ。エリガルに預け、男娼として身体を売らせることでより塾した身体にもなるだろう。」
「外道だな。」
その言葉にもランネルは易々とは動じない。
「何とでも言うがいい。何と言われようと、私が待ち望んでいた瞬間は今日の今この時なのだ。」
「帰ってこい、アラン。私の元へ。」
「嫌だ… 」
子供が嫌々をするようにアランは小刻みに首を振る。
「ほう。その言葉を聞くとあの頃を思い出すな。」
その台詞にアランの顔色が変わる。瞬時に蒼ざめたアランの肩に手をかける。
「おい、ア…」
「触るなっ!」
叫んだアランを見て、思わず手を引いた。驚く俺を見て、我に返ったのか、アランは今度は泣き出しそうな顔でこちらを見る。
「ご…ごめん、ロイ。つい…。」
見上げてくる目はいつものアランのものだ。一瞬滾った炎のような憎しみは気のせいではないだろう。気にするな、
と宥める俺とアランを見て、ランネルが笑う。
「覚えてくれていたようで嬉しいよ。」
アランがランネルを睨んだのを見て、それが卑下た記憶なのだと言うことはすぐに分かる。
「御託はそれぐらいにしたらどうだ。」
ランネルが俺を見る。
「何しに来た。」
この街に。そう問うと、ランネルは
「何しに来た?何れお前達から私の元へ来るだろうと見越してわざわざ会いに来てやったと言うのに、その言い草はないだろう。」
と呆れたように笑う。
「この城は私の城だ。最も、今いる王が私の計画通り死ねばの話だがな。」
「何の目的だ。」
俺の言葉に、ランネルは目湯を潜める。
「何の?今更それを聞くのか。」
「征服なんて言って笑わせるなよ。」
言うと、続けて呆れたようなため息を吐く。
「はっ。馬鹿なことを。私は私の権力と地位のままに「仕事」を進めてきただけの話だ。
その結果、広がった偉業が今の結果を招いただけのこと。
その先に私がこの国一体を手中に収めることになったとしても、それは必然の結果だろう。」
当たり前のようにそう言うランネルにアランが顔を顰めると、ちらりとその目がアランを追った。
「それは私の玩具だ。渡してもらおう。」
アランの顔色が変わる。
「手放したもんが惜しくなったってか。」
「お前の強さは孤独故の強さだろう。男などに惚れ込んで、汚れた人間に成り下がるのか。
私がお前の腕を買ってやろうと言うのに。」
思わず言葉を呑みそうになるが、何とか踏み留まる。
「…生憎、俺は買われる方じゃなく、買う方だったんでね。」
そう言って笑うと、ランネルは小さく舌打ちをする。
「ふざけたことを。今まで世話してやったのを誰だと思っている!」
声を荒げたランネルの目の色が変わる。
「俺はずっと一人で生きてきた。」
こちらを睨むランネルに口角を上げて言ってやる。
「俺がお前を利用したんだよ。」
ランネルの眼光が鋭くなる。
「まあ、小言なら後で幾らでも聞いてやろう。」
そう言いながら、ランネルがゆっくりとコートの内ポケットに手を差し入れる。俺は咄嗟に刀の鞘に手を添えた。
「その時までお前達が生きていればな!」
言うや否や放たれた銃弾が、こちらに向かって飛んでくる。俺とアランは間をすり抜けようとする弾丸を間一髪のところでかわす。
「ちっ。」
大きな舌打ちと共に、ランネルの銃から次々に弾が放たれる。
銃声と周りの資材の壊れる音に紛れ、身を翻し床に俯せるたアランから、刀を抜いた俺に奴の矛先が向く。
「お前さえ居なければ。」
「刀を抜け!」
弾かれるように抜かれた二本の刀は、キンと高い音と共に交わり、刃の擦れるキリキリとした音を立てて男達と共に縺れ合った。
「お前、刀も使えるのか。」
「当たり前だ。お前に合わせてわざわざ用意してやった刀だ。たっぷりと毒を塗ってな。」
「何?」
「この刃には即効性の毒物が塗ってある。一太刀でも掠めればお陀仏だ。」
噛み合った刃の向こうでランネルが笑う。目の前の刃が鈍く光る。
「ちっ。」
余計なことをしてくれたものだ。相当な歳の癖して刃を押す力は俺と互角だ。
腕がいいことは分かっているので、益々気が抜けない。
「どうした、昔よりも腕が落ちたんじゃないのか?」
「やり合ったことのないお前に何が分かる。」
「分かるさ。エリガルに受けた傷で腕が思うように動かないんじゃないのか?」
ランネルが身体ごと刃を押してくる。刀が俺の顔の直ぐ前まで迫る。
「くそ…っ。」
「人斬りも名折れだな。アランに骨抜きにされたか。」
刀の向こうで笑う顔は卑下た男の顔だった。虫唾が走る。
「その古傷、二度目はないのだろうな。」
「く…。」
刀の刃が迫る。
「ランネル!」
急に届いた声に、俺もランネルもはっと腕の力を緩める。飛んで来た刃がランネルの腕を掠めた。
「何?」
振り返ると、アランが刃先をこちらに向けていた。手には握られているのは見覚えのある小刀だ。
ノアの持っていたそれだった。
「お前。」
噛み合っていた刃が離れ、ランネルが腕を押さえて数歩後退る。
「守られてばかりじゃ嫌なんだ。」
一瞬、飛び出していくアランの背が、あの雨の日のエマの後ろ姿に見えた。手放したら失う、と。
「いいからお前は下がって――――」
言いかけると、アランが一瞬こちらを振り返る。
「俺は!」
声を荒げたアランの目を見ると、思いの他柔らかな眼差しが返ってきた。
「エマじゃないよ。」
女じゃない、守られるべき対象ではないと、アランの目が告げていた。
「…そうだな、アラン。」
「怪我するなよ。」
アランが笑う。
「てめぇが言うな。」
俺も、笑っていた。
「私に逆らうのか、アラン。」
ランネルが血の流れる腕に顔を顰める。
「お前が居る限り、俺は一生籠の中の鳥だ。」
アランの刃先はランネルに向いたままだ。
「欲しい物はすべて与えてやっていただろう?」
「俺が欲しいのは自由だ。」
アランがきっぱりと言い切る。
「…生意気になったな。私の知っているアランとはまるで別人だ。」
ランネルは面白くないと言うように眉を潜める。
「私よりその男を選ぶのか。」
ランネルが下ろしていた手で刀を握り直した。アランは真摯な目で、ゆっくりと息を吐く。
「俺は、ロイと生きて行く。」
「下衆が。」
ランネルが、初めて憎しみのこもった目でアランを見た。ちらりとその瞳が動き、視界に俺を捉えると、
「貴様、私の玩具に何をした…!」
刀を振りかざして、こちらに向かってくる。途中、小刀を握ったアランをランネルの体が突き飛ばす。
「ロイ!」
倒れていたアランが起き上がり、俺を見る。ランネルの刀が構えた俺の刀を薙ぎ払う。
斬られると思った瞬間、体制を崩した俺を見て、アランがこちらに身を乗り出してくる。
それを横目で見たランネルが、一瞬にやりと笑って、身体の向きを変えたのが分かった。
「や…」
止めろ。
「アランっ!」
ランネルがにやりと笑った瞬間、空を裂く音が耳に届き、矛先を変えたランネルの刀がアランの正面に振り下ろされる。
俺の声にアランがさっとランネルを見るが、そのアランよりも振り下ろされる刀の方が速かった。
伸ばした手は空を掴んで、目の前で飛び散る鮮血だけが、スローモーションで俺の前を横切った。
「ああぁーっ!」
「アラン!」
アランの目元から、その顔の正面を刀の刃が横切る。
「くっ…ああ…!ロ、ロイ!ロイ…!」
溢れた鮮血がアランの顔を流れ、悲痛な叫び声が俺の耳を劈いた。身体がその場に崩れ落ちる。
「…潰してしまったな。惜しいことをした。」
そう言ったランネルの目は死んでいる。もうその目にアランは映っていない。
目の前で血に塗れたアランを見て、既にそれ以上の戦闘心すら削がれてしまったかのように見えた。
「貴様!」
俺は払われた刀を握り、ランネルの胸を一突きにする。
「ぐ、ああ!ああああぁー…っ…!」
貫いた刀を引き抜くと、ランネルの体はがくりと折れた。
「アラン、大丈夫か!」
駆け寄ってみると、刀傷はアランの右目から正面を耳の下まで斬っている。アランは掠れるような声でランネルは、と問う。
「心配するな。それより、早く医者に…。」
言いながら服の切れ端でアランの傷を覆ってやり、担ぎあげると、アランが弱い力で俺の袖を引く。
「どうした?」
息の音が荒く漏れる口元に耳を近づけると、アランが小さな声で呟いた。
「アラン…。」
アランの言葉に驚いたのは俺だった。
「聞い、て。」
急かす気持ちを抑えて、俺はランネルに向き直る。
「最後に一つ…聞いていいか。」
ランネルは仰向けに倒れたまま俺達を見た。
「何故…俺とアランを引き合わせた。」
ランネルが胸を抑えたままこちらを見る。
「アランを売りに出し、俺に仕事を与えて身請け先まで潰した。一体、何がしたい。」
アランの目は血に塗れ、焦点を保っておらずとも俺を真剣に見上げた。
昔の癖か、ランネルのいる方を見つめつつも、落ち着かなくたまに脇目を振っては帰って来る返事を待っている。
ランネルは俺の言葉に暫し考えてから、吐き出す様に笑って言った。
「はっ…お前には一生理解できないだろうが…。」
血だらけの腕を天に掲げ、震えるその手でランネルは宙を掴む真似をする。
細められたその目は、伸ばした指の先の、さらに向こうの何かを見つめていた。
「渡したくないほど束縛したいものに…幸せにしてやりたいなどと馬鹿げた想いを抱くこともある…。」
それだけ言うと、ランネルはだらりと腕を下げ、目を瞑った。
「それでも、手放すつもりなど…なかった。けれど…。」
ランネルが苦しげに顔を歪める。
「手に入らないのなら、この手にかけても同じこと。」
「ラ…ンネル。」
アランが呟く。
「俺は、お前を…許せな、い。」
それは、あの雨の日からずっとアランの心の奥にあり続けていたであろう想いだった。
ランネルは瞑った目を開き、一瞬悲しげな表情を浮かべた後、再度ゆっくりと瞳を閉じる。
「だろうな…俺にとっても…お前は一生、いい玩具だった…。」
その言葉を最後に、ランネルがそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。
たった一筋、アランの目尻から零れた血の混じった涙は見ない振りをして、俺はそっとアランの体を支え直す。
城の扉へと数歩歩みを進めると、それまでしっかりと俺の袖を握っていたアランの手ががくりと力を抜いて垂れ下がる。
「アラン…?」
顔を覗きこむと、血に濡れた瞼を伏せ、アランは気を失っている。
「おい、アラン!アランっ!」
俺の呼びかけもむなしく、アランは動かない。傷の具合から言って、一刻も早く医者に見せる必要があった。
俺はアランの体を担ぎあげ、元来た城の内部ではなく、最初にここを訪れた時に見つけた裏口の螺旋階段を降り、
すっかり新しくなり閉ざされた鉄柵を蹴り壊して城を出た。
自分もアランも血だらけ、人目を避けるようにアランを抱えて街を駆け抜けながら、思った。
終わった、と。
空に昇るのは、二度目に見る蒼い月。
『次の蒼い月の晩まで。』
ロゼの言葉が蘇る。まるで一晩の魔法のように、この声は熔けてなくなってしまうのだ。この晩に。失うのだろうか、この男を。
俺はアランの体から零れる鮮血に自分の腕を濡らしながら、心に空いた穴を埋める術を探していた。
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